《薄明》へ戻る道中、オルコットは自分がすでに後戻りのできない場所に足を踏み入れたことを自覚していた。連絡艇の窓越しに広がる灰域の暗闇は、いつもと変わらないはずなのに、今日はどこか違って見えた。

鎮魂会という受け皿は見つかった。セシルという内部協力者の意志も確認できた。だが、これから先に必要になるのは、机上の合意ではない。連邦の防諜網を掻い潜り、厳重に護送される軍事機密を実力で奪い取るという、明白な戦争行為に等しい実務だった。頭では理解していたつもりだったが、こうして改めて言葉にしてみると、その重みは想像以上だった。

これまでの自分は、あくまで観察者だった。ケイオン第七集落の真実を知り、独自に情報を集め、確信を胸に秘めてきた。だがそれは、行動とは呼べない。今日、鎮魂会という受け皿を見つけたことで、初めて「行動」という段階への扉が開かれたのだと、オルコットは自覚していた。扉の向こうに何が待っているのか、まだ誰にもわからない。

窓の外を流れる灰域の残骸の光を見つめながら、彼はふと、三十年前に撃破されたという小型艇のことを思い出した。誰にも回収されず、ただ漂い続ける残骸。もし今回の計画が失敗すれば、自分たちもまた、あの残骸と同じように、誰にも顧みられないまま灰域に沈んでいくのかもしれない。そんな想像が、一瞬だけ胸をよぎった。

連絡艇の狭い座席に沈み込みながら、オルコットは指先の冷たさに気づいた。灰域特有の低温がわずかに艇内にまで滲み出しているのか、それとも自分の血の巡りが鈍っているだけなのか、判然としなかった。ただ、その冷たさが今の自分にはどこか相応しいようにも思えた。

ラスクとは巡礼船を出たところで別れた。彼は本国での根回しがあると言って、別の連絡艇でハイド・ステーションへ先に戻っていった。オルコットは一人、《薄明》へ戻る短い航程を、ただ黙って窓の外を眺めて過ごした。

連絡艇の操縦は、いつもの乗員が担当していた。若い操縦士は、オルコットの様子がいつもと違うことに気づいていたようだったが、余計な話しかけはせず、黙々と操縦桿を握り続けていた。灰域を渡る短い時間、オルコットは今日交わした言葉の数々を、頭の中で何度も反芻していた。グラン院長の「間違った相手に預けたということになる」という言葉が、特に重く残っていた。もし自分たちの判断が誤っていたら、その責任は誰が負うのか。答えの出ない問いだった。

艦に戻ると、副長のダーナが出迎えた。

「艦長、お戻りをお待ちしておりました。……何かあったんですか。顔つきが違います」

「そんなに変わって見えるか」

「見えます。ここ数週間、艦長はずっと何か考え込んでるみたいでしたけど、今日はそれが一段と重くなった感じです」

ダーナの観察眼の鋭さに、オルコットは内心で苦笑した。この副長には、隠し事をしても長くは持たない。

「ダーナ」

オルコットは珍しく、言葉を選ぶように間を置いた。

「これから先、お前たちに危険な任務を頼むことになるかもしれない。今はまだ詳しくは話せない。ただ、断ってくれても構わない任務だ」

ダーナはしばらくオルコットを見つめ、それから小さく笑った。

「艦長がそこまで言うんです。よほどのことなんでしょう。……いいですよ、乗ります。乗組員にもそう伝えておきます」

「まだ何も話していないぞ」

「艦長が三年間、誰にも言えずに抱えてきたものがあるのは、みんな薄々気づいてましたよ。副長ですから」

「気づいていて、何も聞かなかったのか」

「聞いたところで、艦長が話す気になるまでは、何も出てこないでしょう。だったら、待つのが一番早い」

オルコットは苦笑した。ダーナの信頼が、これほど重く感じられたことはなかった。同時に、その信頼に見合うだけのものを、自分が返せるのかどうか、不安がよぎった。

「レフやイズマにも、同じことを聞いてもらえるか」

「もちろんです。ただ、レフはきっと『詳しく話せないなら、酒でも奢ってください』って言いますよ」

「それくらいなら安いものだ」

「イズマは多分、何も聞かずに『機関の調子は万全にしておきます』とだけ言うでしょうね。あの人はいつもそうです」

「頼りになる乗員たちだ」

「艦長がそう育てたんですよ、自分では気づいてないでしょうけど」

ダーナはそう言って、軽く敬礼をしてから自分の持ち場へと戻っていった。オルコットはその背中をしばらく見送りながら、この艦の乗員たちに、これから自分がどれほどの危険を背負わせることになるのか、改めて重く自覚していた。

その夜、オルコットは艦長室で一人、ラスクから渡された暗号化ファイルを開いた。開封には二段階の認証が必要で、艦長個人の生体認証コードを入力してようやく、ファイルの中身が表示された。連邦の護送計画に関する断片的な情報――護送予定時期のおおよその幅、想定される護衛戦力の規模、そして最も重要な情報として、鍵の保管施設が連邦辺境惑星「デルフォス」の地下要塞であるという記述。

デルフォスは連邦の資源採掘拠点として開発された惑星で、地表には採掘企業の従業員居住区が広がり、地下には旧世代の軍事施設が眠っている。人口はおよそ十二万、主要な産業は希少鉱物の採掘だという。鍵は、その地下要塞の最奥に保管されているという。

ファイルには、惑星の衛星写真も添付されていた。赤茶けた地表に、採掘プラントの光点がまばらに散らばっている。中心部からやや外れた位置に、他とは明らかに異なる、幾何学的に整った構造物の輪郭が見て取れた。旧世代の軍事施設らしい、地下へと沈み込むような造りだった。オルコットはその画像を何度も拡大しては、地形の起伏や、想定される侵入経路を頭の中で組み立てていた。

資料の末尾には、簡潔な注釈が添えられていた。「本情報の正確性は未検証。今後の追加調査により変更の可能性あり」。ラスクらしい、慎重な一文だった。

つまり、これは艦隊戦だけでは完結しない任務だった。地上に降り、要塞化された保管庁舎を制圧する必要がある。想定される護衛戦力の規模も、ファイルには記されていた。歩兵中隊規模の常駐守備隊、装甲車両数両、そして地下要塞特有の狭隘な通路構造。艦隊戦とはまるで勝手の違う戦いになることは、想像に難くなかった。

《薄明》一隻の乗員だけで完結できる規模の作戦ではない。それは明らかだった。地上戦力の確保、輸送手段の調達、そして何より、これを実行に移すための正当な名目――どれ一つとして、オルコット個人の判断だけでは用意できないものばかりだった。ラスクは今頃、本国でその根回しを始めているのだろう。だが、根回しが成功する保証はどこにもない。

根回しが実らなければ、ここまでの全てが徒労に終わる。オルコットはその可能性を頭の隅に押しやりながらも、完全に消し去ることはできなかった。ラスクを信じるしかない、という結論に至るたびに、彼はわずかな苛立ちに似た感情を覚えた。それは苛立ちというより、自分の手の届かない場所に運命を委ねることへの、単純な不安だったのかもしれない。

オルコットは資料を読み込みながら、頭の中で幾つかの疑問を書き留めていった。護送の正確な時期はいつか。護衛戦力の詳細な編成は。奪取に成功した後、鎮魂会の巡礼船まで、どの航路でどれだけの時間をかけて運ぶのか。どの疑問にも、今はまだ答えがなかった。

オルコットは端末を閉じ、しばらく暗闇の中で目を閉じていた。艦の心臓部から伝わる微かな振動だけが、規則正しく続いていた。

灰の中に立ち尽くした、三年前のあの光景。

そして、展望デッキで涙を滲ませていた、セシルの横顔。

さらに、巡礼船の壁面に刻まれた、無数の名前。

それらすべてが、今この瞬間、彼の中でひとつの決意へと収束していくのを、オルコットは感じていた。

「――やるしかない」

彼は小さく呟いた。それは自分自身への、最初の覚悟の言葉だった。

窓の外、灰域の暗闇の向こうに、連邦領デルフォス方面の方角を、彼はしばらくの間見つめ続けた。これから始まる任務が、どれほどの犠牲を伴うことになるのか、この時点ではまだ、正確には見当もつかなかった。ただ、犠牲なしにこの計画が完結することはないだろう、という予感だけは、はっきりと胸の中にあった。

彼は端末の光を落とし、寝台に体を横たえた。眠りに落ちる直前、彼の脳裏には、ダーナの笑顔と、セシルの涙と、グラン院長の静かな眼差しが、順番に浮かんでは消えていった。

翌朝、オルコットは通常通りの時刻に目を覚ました。艦内の空気循環装置の低い唸り、床を伝う機関の振動――いつもと変わらない朝だった。だが、昨夜の決意は、朝の光の中でも色褪せることなく、はっきりと彼の中に残っていた。

艦内通路を歩きながら、オルコットは壁面のパネルに反射する朝の照明の白さに、ふと目を留めた。何百回と通り過ぎてきたはずのこの通路が、今日はやけに長く感じられた。踏み出す一歩ごとに、昨夜固めた決意の重さを、靴底から確かめているような気分だった。

食堂へ向かう途中、レフとすれ違った。

「艦長、おはようございます。何か辛気臭い顔してますね、また」

「そう見えるか」

「見えます。ま、詳しいことは聞きませんけどね。ダーナから聞きました、なんか厄介事に付き合わされるみたいだって」

「悪いな」

「別にいいですよ。どうせ暇な哨戒任務よりは、少しは面白いことになるんでしょう」

レフはそう言って軽く笑い、自分の持ち場へと歩いていった。オルコットはその後ろ姿を見送りながら、この乗員たちの気楽さが、今の自分にはひどく救いになっていることを実感していた。

彼は食堂で簡素な朝食を取りながら、これから始まる長い戦いの、最初の一日を静かに迎えていた。合成コーヒーの湯気の向こうに、灰域の暗闇を思い浮かべながら、彼はもう一度、自分自身に問いかけた。本当に、これでいいのか。答えは、昨夜と変わらなかった。やるしかない。それ以外の道は、もう自分の中には残っていなかった。

(第11話へ続く)