正式な作戦立案には、同盟軍上層部の一部を巻き込む必要があった。オルコットがハイド・ステーションから参謀本部の置かれた軌道要塞へ移動するだけで、片道六時間を要した。定期便のシャトルには乗らず、身元を偽装した貨物便の隅に押し込まれての移動だった。窓のない船倉で、オルコットは配管の継ぎ目を眺めながら、これから始まることの大きさを何度も測り直していた。測るたびに、答えは変わらなかった。引き返す理由がない、という一点だけが確かだった。
参謀本部の地下深く、電磁遮蔽を三重に施した会議室は、外部からのいかなる傍受も許さない代わりに、空気そのものが重く澱んでいた。換気系統の唸りだけが、一定の間隔で耳の奥にこびりつく。オルコットは末席に座り、壁際の温度計が示す摂氏十八度という数字を、意味もなく目で追っていた。緊張しているときほど、どうでもいい数字が気になる。艦長になってから身についた、悪い癖だった。
ラスクが接触したのは、参謀本部作戦部長カリナ・ドーベル少将だった。年齢は五十代半ば、階級章の下に古い戦傷の痕が覗く。オルコットは彼女と面識がなかったが、その名前だけは、辺境勤務の艦長たちの間でも知られていた。部下を無駄死にさせない指揮官として、あるいは、政治的な駆け引きを厭わない策謀家として。
予定の時刻を七分過ぎて、ドーベル少将が姿を見せた。副官も速記官も連れていない。この場に記録係を置かないこと自体が、すでに一つの意思表示だった。ラスクは立ち上がって敬礼したが、少将はそれを手で軽く制し、卓の上座に腰を下ろした。
「――要するに、他国の軍事機密を強奪しろと」
ドーベル少将は、ラスクの説明を聞き終えると、開口一番そう言った。皮肉げな口調だったが、拒絶の色はなかった。むしろ、面白がっているようにも見えた。彼女は卓上の資料に一度も目を落とさず、ラスクの顔だけを見据えていた。
「発覚すれば開戦の口実を連邦に与えることになる。わかっているのか、ラスク参謀」
「承知しています。だからこそ、実行部隊は最小限に、痕跡は徹底的に消す必要がある」
「そして、手に入れたものを我が軍が保有するのではなく、宗教組織にくれてやると?正気か」
少将の声には、明確な非難の響きがあった。オルコットは末席でその応酬を聞きながら、自分の心拍が少しずつ速くなっていくのを感じた。ここで議論が決裂すれば、半年近くかけて積み上げてきた計画は、この部屋の空気と共に消える。
「同盟が保有すれば、いずれ同盟自身がそれを脅しの道具に使う日が来ます。少将、あなたもそれをわかっているはずだ。私たちが今、連邦を非難できるのは、私たちがまだその力を持っていないからです」
ドーベル少将はしばらく黙り込んだ。指先で卓の縁を軽く叩く音だけが響く。一度、二度、三度。オルコットはその回数を無意識に数えていた。七度目で、少将は指を止めた。
「オルコット艦長」
不意に名指しされ、オルコットは背筋を伸ばした。想定はしていたが、実際に名を呼ばれると、喉の奥が乾いた。
「お前がこの作戦の現場指揮を執るそうだな。なぜ引き受けた」
質問は単純だったが、その裏に、少将なりの品定めがあることは明らかだった。感情論で答えれば見限られる。かといって、打算だけを語れば信用されない。オルコットは一瞬、言葉に詰まったが、やがて静かに答えた。
「三年前、ケイオン第七集落で何が起きたか、私は知っています。同じ過ちが、これから何百倍もの規模で起こり得ることも」
言葉にしてしまえば、それだけのことだった。だが、その一言の裏には、あの日見た光景――崩れた集落の建材の隙間から覗いていた小さな靴、記録から抹消された死者たちの名前――が、今も色褪せずに焼き付いている。
ドーベル少将の表情がわずかに動いた。眉間の皺が、ほんの一瞬だけ深くなり、また元に戻った。彼女もまた、あの事件の隠蔽の一端を知る人間だったのかもしれない。それとも、単に「ケイオン」という地名に何か個人的な記憶があるだけかもしれない。オルコットには判断のしようがなかった。
オルコットの脳裏には、今も鮮明に残る光景があった。連邦が極秘に行った自律核実弾試験、その巻き添えで消えた集落。当時、辺境哨戒中だった《薄明》は、規定の航路をわずかに外れたために、その現場に偶然行き合わせてしまった。救助に向かった時にはすでに手遅れで、彼が見たのは、崩落した建材と、その下敷きになった住人たちの成れの果てだった。後日、同盟の情報部から届いた公式記録には、「未確認の隕石落下による自然災害」とだけ記されていた。改竄された記録の文面を読んだ夜、オルコットは自分の中で何かが完全に切り替わるのを感じた。国家という枠組みそのものへの、静かな、しかし決して消えることのない不信だった。
「――続けてくれ」
少将の声で、オルコットは我に返った。回想は一瞬のことだったが、汗が背中を伝っていた。
「――よかろう。ただし、この作戦は正式な命令書には残さない。私個人の裁量予算と、ラスク参謀の人脈だけで進める。失敗しても、同盟政府はお前たちを知らないと言う。それでもいいか」
「承知の上です」
ラスクが即答した。長い付き合いなのだろう、その返答には迷いがなかった。
「オルコット艦長、お前は」
少将の視線が再びオルコットに向いた。今度は、先ほどよりも長く、値踏みするような時間だった。
「同じく、承知の上です」
ドーベル少将は初めて、かすかに笑みを見せた。それは友好的な笑みではなく、むしろ、覚悟を決めた者同士が交わす、乾いた種類の笑みだった。
「フリゲート一隻で、要塞化された惑星地下施設を落とすのは無理だ。増援が必要になる。ただし正規の艦隊は動かせない。傭兵と、退役予備役の招集でどうにかするしかない」
「心当たりがあります」
ラスクが言った。
「灰域周辺で活動する独立艦隊、通称『残り火隊』。同盟軍の退役軍人が中心の傭兵集団です。金さえ積めば、どんな汚れ仕事も引き受けると評判の」
「金は出す。ただし、支払いの記録は絶対に残すな」
少将は端末を操作し、何かのコードを打ち込んだ。それが裁量予算の枠を開く手続きなのだと、オルコットは後になって知ることになる。数字は資料にも残らない。ただ、誰かの記憶の中にだけ存在する予算だった。
「規模はどの程度に」
オルコットが尋ねると、少将は初めて資料に目を落とした。
「初期投入で四十万クレジット。装備更新分は別枠だ。それ以上は、進捗を見てからにする。無限に出せる金じゃない」
「四十万で、要塞一つを落とせと」
「落とせとは言っていない。落とすための足がかりを買え、と言っている。あとはお前たちの仕事だ」
言葉は素っ気なかったが、突き放しているわけではないことは、オルコットにもわかった。むしろ、これは少将なりの信頼の示し方だった。細かい指図をせず、必要な分だけを渡し、あとは現場に委ねる。かつての上官の何人かにも、似た流儀の者がいた。
「失敗した場合の、私個人への責任については」
オルコットが尋ねると、少将は初めて感情の読めない目でオルコットを見た。
「軍法会議にかける余裕は、こちらにもない。だが、成功した場合の栄誉もない。お前の名前は、どちらに転んでも歴史には残らない。それでもやるか」
「名誉のためにやるわけではありません」
「だろうな。だからこそ任せられる」
少将はそう言って、ようやく卓上の資料に手を伸ばした。ここまでの会話は、資料など見なくても成立する話だったのだと、オルコットは今更のように気づいた。少将は最初から、二人の覚悟だけを測っていたのだ。
「もう一つ、言っておく」
少将が席を立ちながら言った。
「この部屋にいた全員が、今日という日を忘れろ。私も忘れる。それが唯一の保険だ」
会議室を出たオルコットに、ラスクが小声で言った。
「厳しい人でしょう。だが、信用はできる」
「信用というより、覚悟の問題だな」
「同じことです」
ラスクはわずかに口の端を上げた。それが彼なりの笑い方なのだと、オルコットはこの数ヶ月でようやく理解しつつあった。
長い廊下を並んで歩きながら、ラスクが今後の段取りを口にした。
「次に会うのは残り火隊のマグダ・ソーレンです。灰域の外縁、どの国家の管轄も及ばない場所に根城を構えている。少将から出た予算の使い道は、まず彼女との交渉次第になります」
「信用できる相手か」
「金の切れ目が縁の切れ目、という点では信用できます。逆に言えば、それ以上でもそれ以下でもない」
「十分だ。政治的な信義よりは、よほど扱いやすい」
ラスクは小さく笑った。
「艦長は、案外そういう割り切り方をしますね」
「艦の上では、迷っている暇がない。それだけのことだ」
エレベーターの扉が開き、二人はそれぞれ別の方向へ分かれた。オルコットは帰りの貨物便に乗り込む前に、もう一度だけ振り返り、参謀本部の無機質な外壁を見上げた。この建物の中で交わされた密約が、これからどれだけの人間の運命を動かすことになるのか、今の彼にはまだ知る由もなかった。
帰路の貨物便は、往路よりもさらに手狭な区画に押し込まれた。積み荷の隙間に座り込み、オルコットは持参した端末で作戦資料を読み返した。文字の羅列を追いながらも、頭の片隅では、ケイオンの光景と、少将の乾いた笑みが交互に浮かんでは消えた。国家は誰も守ってくれない。だからこそ、自分たちで守るべきものを選ぶしかないのだ。その結論に、迷いはもうなかった。
こうして、非公式の作戦本部が動き出した。国家の名を冠さない、しかし国家の存亡に関わる任務が。廊下の照明は変わらず均一に白く、オルコットの足音だけが、静かな廊下に反響していた。
(第12話へ続く)