三年前、オルコットはまだ《薄明》の艦長ではなかった。同盟軍の輸送護衛任務で、灰域の外縁にある小さな入植地――登録名「ケイオン第七集落」、住民およそ340名――の近くを航行していたひとりの副長に過ぎなかった。当時の彼は、任務の淡々とした反復に慣れきった中堅士官の一人だった。政治にも軍拡競争にも興味はなく、ただ与えられた航路を、与えられた時間内に、事故なく進むことだけを考えていた。
その日、連邦側から緩衝域の外を回るようにという定型的な航路変更通知が届いていた。理由は「連邦内演習のため」とだけ記されていた。よくあることだった。演習通知は月に一度は届き、その都度、迂回するのが慣例になっていた。彼はそれ以上、深く考えなかった。むしろ、余計な燃料消費と時間のロスを内心で愚痴っていたことを、今でも覚えている。当時の艦長に、「また連邦の演習か」と冗談交じりに漏らしたことさえあった。
迂回のために必要な追加燃料は、当時の見積もりでおよそ1,200単位。輸送護衛任務のスケジュールも半日ずれ込むことになり、若手士官だった彼は、その半日の遅延をどう埋め合わせるかで頭がいっぱいだった。今にして思えば、なんと呑気な悩みだったことか。あの半日が、後になってこれほどの重みを持つことになるとは、当時の彼には想像もつかなかった。
輸送護衛の艦隊は三隻編成で、ケイオン第七集落の存在は、航路図上のただの通過点に過ぎなかった。集落の住民の顔も名前も、彼はその時点では一人も知らなかった。ただの座標のひとつ。それが、彼の中で意味を持つようになったのは、通信が途絶えてからのことだった。
航路を変更し、ケイオン第七集落の上空を通過した数時間後――通信が途絶えた。
最初は単なる通信障害だと思われた。灰域周辺では、宇宙塵の密度や電磁的な残留物の影響で、通信が一時的に乱れることは珍しくない。だが、いつまで経っても回復しない通信状況に、艦内の空気は次第に緊張を帯びていった。定時連絡の時刻を過ぎても、集落からの応答は一切なかった。
駆けつけた同盟の哨戒艦が見たのは、集落があった座標に広がる、不自然なまでに均質な焦土だった。爆発痕でも砲撃痕でもない。何かが一瞬で、正確に、生命反応だけを刈り取ったような痕跡だった。建造物の外殻はほとんどそのまま残っているのに、その中に生きているものは何一つなかった。
連邦は後日、「民間船の燃料タンク爆発による偶発的事故」との声明を出した。同盟政府も、当時の緊張緩和路線を優先し、それ以上の追及をしなかった。外交的な均衡を保つことの方が、340人の民間人の死因を追及することより優先された。オルコットはその決定を、後になって知った時、腹の底が冷えるような感覚を覚えたことを今も忘れられない。
同盟政府が発表した犠牲者名簿には、判明分として312名の氏名が記載され、残る28名は身元不明のまま処理された。名簿の末尾には、ごく事務的な一文が添えられていた。「詳細については引き続き調査中」。その調査が実際に進んでいるという話を、オルコットはその後三年間、一度も聞いたことがない。名簿はそのまま、どこかの資料庫の奥に沈んでいったのだろう。
現場に降り立った同盟軍の人間は、あの日、全部で六名だった。オルコットを含む三名の士官と、三名の兵士。彼らのうち二名は、その後まもなく、他の任務地への異動を命じられた。異動先で今も無事にやっているのかどうか、オルコットは確かめたことがない。確かめることが、何か良くないことを掘り起こす気がして、怖かったのだ。
だがオルコットは、その現場に最初に降り立った数人のうちの一人だった。彼は見た。均質に炭化した地面の上に、不自然に規則的な間隔で並ぶ、小さな穴の跡を。まるで、何かが正確に狙いを定めて、一人ひとりを個別に処理していったかのような。防護服越しにも伝わってくる、焦げた大気の重い匂い。足元で崩れる炭化した地面の感触。彼はあの時の靴底の感覚を、今でも時折、夢の中で思い出す。
民間船の燃料タンクが爆発して、こんな痕跡は残らない。当時まだ若手だった彼にも、それだけははっきりとわかった。燃料タンクの爆発なら、爆風と熱による無差別な破壊が起こる。だがあの現場にあったのは、まるで台帳をつけるように整然と並んだ、個別の痕跡だった。
同行していた兵士の一人が、現場でひどく嘔吐した。もう一人は、その場に立ったまま長い間、一言も発しなかった。誰もその沈黙を咎めなかった。咎める言葉を、誰も持ち合わせていなかったからだ。オルコット自身、防護服のヘルメット越しに響く自分の呼吸音だけを、やけに大きく感じていたことを覚えている。
集落の名簿には、教師が二名、診療所の医師が一名、農業プラントの技師が六名いたという記録が残っていた。子供の数は推定で四十名前後。推定、というのが、オルコットには堪えた。正確な数さえ、誰にもわからなくなっていた。
彼はその後、独自に情報を集めた。退役した技術士官の伝手を辿り、闇のルートで断片的な記録を手に入れた。休暇のたびに、辺境の情報屋を訪ね歩き、時には自分の給与の大半をつぎ込んで、断片的なデータの写しを買い取ったこともあった。ある時は、辺境の酒場で偶然出会った元技師から、たった一枚のメモリ片と引き換えに、当時の彼にとって二ヶ月分の給与に相当する金額を支払ったこともある。誰かに見咎められれば、それだけで軍規違反になりかねない行為だった。それでも彼は続けた。真実を知ることでしか、あの日の光景に納得をつけられなかったからだ。連邦が「演習」と称していたのは、開発中の自律核搭載兵器システムの実弾試験だった。標的判定アルゴリズムに欠陥があり、民間人を交戦対象と誤認した。連邦上層部はこれを完全に隠蔽し、開発計画そのものは中止されないまま続行されている――そこまで辿り着いたところで、情報源が忽然と消えた。
情報源だった元技術士官の消息は、それ以来一切途絶えている。生きているのか、死んでいるのか、それすらもわからない。オルコットはその失踪の責任の一端が自分にあるのではないか、という重い疑念を、誰にも打ち明けずに抱え続けてきた。自分が探りを入れたせいで、その人物が消されたのだとしたら。
その人物の名は、エドヴァルド・シュラム。退役前は連邦軍の兵装認証局に籍を置いていたという。オルコットが持つ記録の中で、唯一名前が判明している情報源だった。彼のことを思い出すたび、オルコットは胸の奥に小さな石を飲み込んだような重さを感じる。名前を知っているというだけで、何もしてやれなかったことへの負い目が募った。もし彼が既に死んでいるのだとしたら、せめてその名前だけでも、いつか誰かの記録に残してやりたい。オルコットはそう思っていたが、今のところそれを叶える手立てはどこにもなかった。
最後に連絡が取れた時、シュラムは「これ以上は危険すぎる、次に会う時は場所を変える」とだけ言い残していた。その「次」は、結局訪れなかった。オルコットは今でも、月に一度は彼の使っていた匿名の通信アドレスに、意味のない定型文を送り続けている。応答がないことはわかっている。それでも、送ることをやめられずにいた。
それ以来、オルコットは誰にもこの話をしていない。証拠は不完全で、公にすれば自分が消される可能性の方が高いことも理解していた。何より、証拠として持っているものは断片の寄せ集めに過ぎず、法廷はおろか、軍の内部調査委員会にすら提出できる代物ではなかった。
だが彼の中には、ひとつの確信だけが残った。
自律核搭載兵器の生殺与奪を、連邦という一つの国家機構だけに独占させてはならない。そしていつか、それを止める手段が自分の手の届くところに現れたなら、迷わず動く。この三年間、彼はその確信だけを胸の奥深くに沈めたまま、日々の任務をこなしてきた。誰にも語らず、誰にも悟られず。艦長への昇進も、《薄明》という艦を任されたことも、彼にとっては単なる職務上の通過点に過ぎなかった。だが心の奥では、いつかこの確信を行動に移す日が来ることを、どこかで待ち望んでいたのかもしれない。
技術交流会議で見たセシル・マーロウの表情――自律核の倫理制限の議題に見せた、あの一瞬のこわばり。あれは、演技ではなかった。オルコットにはそれがわかった。同じ影を見た者の表情だった。三年前のあの日、自分が現場で見た光景と同じ種類の重さを、彼女もまたどこかに抱えている。そう直感したのだ。
その直感が正しいのかどうか、この時点ではまだ確かめようがなかった。だが、灰域の暗闇を見つめるたび、オルコットの頭の中では、焦土の光景と、セシルの表情とが、奇妙に重なり合って離れなかった。
もし本当に、彼女もまたあの日の真実の一端を知る当事者なのだとしたら――オルコットはそこから先を考えることを、意図的に避けていた。考えを進めれば、自分が彼女に何を求めているのか、はっきりと自覚せざるを得なくなる。それは単なる情報提供者としての価値だけではない、もっと個人的な何かだった。
艦長席に座り直し、彼は航海図のホロへと視線を戻した。灰域の暗闇は今日も変わらず、静かに広がっている。だがその静けさの底に、確実に何かが動き始めているのを、オルコットは肌で感じ取っていた。三年間、誰にも語らずに抱えてきた確信が、ようやく形を持ち始めようとしていた。
(第5話へ続く)