《薄明》を含む同盟艦隊が到着した時、連邦特務局の部隊は、すでにノクターンの氷惑星軌道に展開し、地表への降下作戦を開始していた。灰域の淡い光を背景に、連邦艦隊の巨大な影が、ノクターンの白い惑星表面と対照的に、黒々と浮かび上がっていた。
艦橋の窓越しに見えるノクターンの白い表面は、これまでオルコットが見てきたどの惑星よりも静謐で、それゆえに、これから流されようとしている血の予感を、いっそう際立たせていた。彼は、その対照的な光景に、束の間、言葉を失った。
「――間に合った、ぎりぎりだが」
「連邦強襲部隊、すでに地上侵攻部隊を降下させています!」
通信士の声が、切迫した響きで艦橋に飛んだ。オルコットは、スクリーンに映る降下艇の光跡を見つめた。数十条の光が、ノクターンの氷原に向かって、まっすぐに伸びていた。
スクリーンには、連邦艦隊の陣形が、刻一刻と更新されていく。巡洋艦二隻が、ノクターンの軌道上に留まり、周囲を警戒するように展開していた。駆逐艦六隻は、降下作戦の護衛につきながら、同盟艦隊の接近を、まだ完全には察知していない様子だった。
「――こちらの接近には、まだ気づいていないようだな」
「奇襲のチャンスです、艦長。ですが、長くは続きません」
レフの声に、オルコットは頷いた。灰域を渡る三十時間以上の航路の疲労が、乗員たちの顔に色濃く残っていたが、それでも誰一人、持ち場を離れようとはしなかった。彼らもまた、この戦いの意味を、それぞれの形で理解しているのだろう。
オルコットは、即座に判断した。
「艦隊は、軌道上の連邦艦を足止めしろ。俺は、地上へ降りる」
「艦長、危険すぎます!」
ダーナが、鋭い声で異を唱えた。彼女の表情には、これまでにない焦りが浮かんでいた。
「艦長が地上に降りれば、艦隊の指揮系統に穴が空きます。それに、地上戦の経験が豊富とは言えません」
「マグダの部隊がいる。彼らの経験を借りる。だが、鎮魂会との交渉役、そして鍵の由来を知る者として、俺が現地にいる必要がある」
セシルが、艦橋の隅から、静かに口を挟んだ。
「――艦長、私からも、お願いします。無茶はしないでください」
オルコットは、彼女の方を一瞬だけ振り返った。
「約束は、守るつもりだ。だが、今は、行かせてくれ」
セシルは、それ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。その沈黙の中に、彼女の不安と、それでも彼を信じようとする強い意志が、同時に滲んでいた。
「鍵を守れるかどうかは、地上の防衛にかかっている。行かせてくれ」
オルコットは、有無を言わせぬ口調で答えた。ダーナは、しばらく彼を見つめた後、諦めたように頷いた。
「――わかりました。艦隊の指揮は、私が代行します。必ず、戻ってきてください」
「ああ」
オルコットは、マグダの地上部隊とともに、緊急降下を敢行した。降下艇の中、重力の変化に体を委ねながら、彼は窓の外に広がるノクターンの氷原を見つめた。白一色の地表に、小さな聖堂群の輪郭が、次第にはっきりと見えてきた。ノクターンの聖堂群を守るのは、鎮魂会の護衛と、少数の同盟軍協力者のみだった。
降下艇の狭い船内には、金属の軋む音と、乗員たちの浅い呼吸音だけが響いていた。誰も、余計な言葉を口にしなかった。オルコットは、自分の心拍が、いつもより速く、そして重く刻まれていることに気づいていた。
降下艇の中、マグダが、部下たちに最後の指示を飛ばしていた。
「――いいか、相手は正規軍と、機械の兵隊だ。恐れることはない。恐れず、狙って、当てる。それだけだ」
部下たちは、緊張した面持ちで頷いた。オルコットは、その様子を見ながら、自分の武装を最終確認した。手にした銃の重みが、いつもより重く感じられた。それは、これから起きることの重大さを、体が先に理解しているせいかもしれなかった。
「――院長は、これまで、多くの死者を弔ってきた。今度は、俺たちが、彼を守る番だ」
オルコットは、静かにそう呟いた。降下艇が、氷原への着地に向けて、大きく揺れ始めた。
聖堂の外壁には、これまでの弔いの儀式で刻まれてきたであろう、無数の名前の彫り込みが見えた。オルコットは、その光景に、束の間、目を奪われた。この場所は、単なる防衛拠点ではない。数え切れない死者の記憶が積み重ねられた、鎮魂の場所そのものだった。その場所を、これから自分たちの手で守り抜かなければならない。
「――院長、状況は」
聖堂の入口で出迎えたアダムが、緊迫した声で報告した。彼の顔には、疲労と緊張が色濃く浮かんでいた。
「連邦の降下部隊、およそ150名。加えて、自律制御式の戦闘機兵を投入しているとの報告があります」
「自律制御式の戦闘機兵、だと」
「人間の兵士ではありません。連邦軍の新型無人戦闘ユニットです」
「――院長は、今どちらに」
「安置所の最奥です。修道士たちとともに、鍵を守っておられます。院長は、最後まで、この場を離れるおつもりはないようです」
オルコットは、深く息を吸い込んだ。院長の覚悟の重さを、改めて噛みしめた。彼自身もまた、この場所を離れるつもりはなかった。
「――こちらの戦力は」
「マグダ隊長の部隊、四十名。加えて、鎮魂会の護衛が、二十名ほどです。装備は、連邦の正規軍に比べれば、いささか心もとないものですが」
「数の不利は、地形で補うしかない。氷の岩場と通路を活かして、防衛線を築く」
アダムは、その言葉に、力強く頷いた。
聖堂の周囲に広がる氷原は、これまでオルコットが見てきたどの戦場とも違う、静謐な美しさを湛えていた。氷に反射する薄明かりが、まるで無数の星屑が地表に降り積もったかのように輝いている。だが、その美しさは、これから流される血によって、すぐに汚されることになるのだろう。彼は、その予感に、胸の奥が重く沈むのを感じた。
冷え切った空気が、防寒装備越しにも肌を刺した。吐く息は、瞬く間に白く凍りつき、視界の端で小さく散っていく。オルコットは、その冷たさを、これから始まる戦闘の緊張と重ね合わせるように、深く吸い込んだ。
聖堂群の外縁、氷に覆われた岩場で、最初の交戦が始まった。連邦の降下部隊が、正確な連携で聖堂への進撃を開始する。彼らの動きは、訓練された正規軍らしい、無駄のないものだった。氷原に反響する銃声が、次第に密度を増していく。
「――同盟軍協力者の一人、ラドフ伍長、被弾!」
護衛の一人が、悲痛な声で叫んだ。ラドフは、鎮魂会の護衛部隊に長く協力してきた古参の兵士だった。オルコットは、その名を、心の中で刻みつけた。彼の死を、単なる報告の一行として片付けるつもりはなかった。
「――ラドフの分まで、持ちこたえろ!」
マグダが、部下たちを鼓舞するように叫んだ。
「――迎撃態勢!鍵の安置所を、何としても守り抜け!」
マグダの部隊と鎮魂会の護衛が、氷の岩陰を利用して防衛線を築いた。だが、自律制御式の戦闘機兵は、人間の兵士とは異なる、機械的で正確な動きで前進してくる。
「――ちっ、化け物じみた動きしやがる!」
マグダの部下が、悪態をつきながら応戦した。人間なら躊躇するような危険な射線にも、機械は迷わず飛び込んでくる。
「恐れず狙え!装甲の継ぎ目を狙撃しろ!」
オルコットは、自ら前線に立ち、指揮を執った。氷の岩陰から身を乗り出し、狙いを定める。戦闘機兵の一体が、こちらに向かって直進してくるのが見えた。人間なら、身を屈めて隠れるはずの瞬間にも、その機体は速度を落とさなかった。
「――関節部、狙え!」
オルコットの号令に合わせ、数丁の銃が一斉に火を噴いた。弾着の火花が、機体の脚部の継ぎ目に集中する。数秒後、機体はバランスを崩し、氷の上に倒れ込んだ。
「――一体、撃破!」
部下の一人が、叫んだ。だが、喜びに浸る余裕はなかった。さらに三体の戦闘機兵が、倒れた同型機を乗り越えるようにして、前進を続けていた。
「まだ来るぞ!弾薬を惜しむな、だが無駄撃ちもするな!」
マグダの声が、氷原に響き渡った。彼の部隊は、これまでの実戦経験を活かし、限られた弾薬を、確実に効果のある一撃に集中させていた。それでも、機械の兵隊の前進は、止まる気配を見せなかった。
聖堂の奥からは、鎮魂会の修道士たちが運び出した簡易的な医療品が、負傷者の元へと届けられていた。アダムが、負傷者の手当てをしながら、祈りの言葉を静かに唱えていた。その光景は、戦闘の喧騒の中にあって、不思議なほど静謐だった。
祈りの言葉は、銃声と怒号にかき消されながらも、途切れることなく続いていた。オルコットは、その声を耳の片隅で聞きながら、この場所が、これまでどれほど多くの死者を弔ってきたのかを、あらためて思った。今、この瞬間もまた、その弔いの歴史に、新たな一頁が刻まれようとしている。
オルコットは、氷の岩陰に身を寄せながら、これまでの戦いの数々を、瞬間的に思い返した。ハルシオンでの防衛戦、デルフォスでの奪取作戦、幾度もの逃避行――そのすべてが、この一点に集約されようとしている。彼は、銃を握り直し、再び前線へと視線を戻した。氷の聖地を舞台に、鍵の運命を賭けた、最も過酷な戦いが繰り広げられていた。氷原に響く銃声と、遠く軌道上で繰り広げられているであろう艦隊戦の気配とが、彼の意識の中で、ひとつの重い緊張として、絶えず絡み合い続けていた。
氷の岩肌に頬を寄せると、その冷たさが、痛みに近い感覚となって伝わってきた。それでも、その痛みが、今の彼にはむしろありがたかった。恐れや焦りに呑まれそうになる意識を、その冷たさが、かろうじて現実に繋ぎ止めてくれているような気がした。
(第81話へ続く)