ハルシオン防衛戦の結果は、同盟国内で「防衛戦の勝利」として大々的に報じられた。オルデン提督は、一躍国民的な英雄として扱われるようになった。オルコットは、艦の修理でドックに戻った合間、休憩室のホロ画面に映るその報道を、複雑な思いで眺めていた。画面の向こうの喧騒と、自分たちが実際に経験した重苦しい現実との落差に、彼はいまだに慣れることができずにいた。
「――皮肉なものだな」
オルコットは、ホロ映像に映るオルデンの会見を見ながら呟いた。画面の中のオルデンは、これまでの強硬な将官という印象からは想像もつかないほど、穏やかな表情で記者団の質問に答えていた。
「あれほど強硬な男が、今や『国民を守った英雄』か」
画面には、記者団に囲まれたオルデンが、防衛戦の勝因について語る様子が映し出されていた。彼の口調は、いつもの高圧的な物言いとは違い、慎重に言葉を選んでいるように見えた。オルコットは、その変化に、わずかな興味を覚えた。人は、称賛を浴びる立場に置かれると、その称賛にふさわしい振る舞いを、自然と身につけていくものなのかもしれない。それが本心からのものか、単なる演技かは、まだ判断がつかなかった。
「悪いことばかりではありません」
セシルが言った。彼女もまた、休憩室の椅子に腰かけ、同じ画面を見つめていた。
「彼が英雄として発言力を増せば、少なくとも、無謀な報復論には一定の歯止めがかかるかもしれません」
「――そうであってくれれば、いいが」
オルコットは、オルデンが緊急展開の判断を、政治的な配慮ではなく、純粋に民間人保護の観点から下したことを思い出していた。あの判断の速さと的確さが、今回の防衛の成功に少なからず寄与したことは、間違いなかった。だが、その評価が、これから先も彼の判断を正しい方向に導き続けるとは限らない。英雄という称号は、時に人を、かえって危うい判断へと導くこともある。
だが、連邦国内の反応は、正反対の方向に振れていた。
「連邦は、ハルシオンでの敗北を『同盟の卑劣な奇襲』として報じています」
ダーナが、傍受した連邦国内放送の記録を読み上げた。彼女の声には、疲労とともに、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。
「マルコ・ヴィスは、この敗北の責任を問われるどころか、逆に『さらなる強硬策の必要性』を訴える論客として、発言力を増しているようです」
「――負けてなお、強硬派が力を増す、か」
オルコットは、苦い思いを噛みしめた。両国とも、対立が深まるほど、それを煽る者たちの発言力が強まっていく。まるで、対立そのものが、特定の人間たちの権力基盤を養う燃料になっているかのようだった。
「連邦国内での、ヴィス氏の支持率は」
「傍受した世論調査では、四十パーセントを超えています。敗北の当事者でありながら、これほどの支持を集めるというのは、異例と言えるでしょう」
ダーナの報告に、オルコットは眉をひそめた。
「――負けを認めない者ほど、声が大きくなる。厄介な話だ」
「はい。しかも、彼の主張には、一定の説得力があります。『同盟が卑劣な手段で我々を攻撃した』という物語は、国内の被害者感情に、直接訴えかけますから」
セシルが、静かに付け加えた。
「連邦の国民の多くは、実際の戦況の詳細を知りません。知らされているのは、都合よく編集された断片だけです。その断片だけを信じれば、ヴィス氏の主張は、むしろ理にかなって聞こえてしまう」
オルコットは、その構図の巧妙さに、改めて苛立ちを覚えた。事実そのものではなく、事実の断片の見せ方一つで、世論はいくらでも操作される。それは、砲弾や装甲では対抗できない、まったく別種の戦場だった。
ラスクが、深刻な表情で報告した。彼は、休憩室に入ってくるなり、いつもの落ち着いた物腰を崩さないまま、しかし内容の重さを隠さずに切り出した。
「連邦議会で、正式な軍備増強法案が可決されました。加えて――」
「加えて?」
「自律無人艦の実戦配備計画、最初の実働部隊が、間もなく編成完了するという情報です」
会議室に、重い沈黙が落ちた。オルコットは、その言葉の意味を、改めて噛みしめた。これまで開発・配備計画の段階に留まっていたはずの自律無人艦が、ついに実戦の場に投入される日が、目前に迫っている。
「――ついに、来るのか」
「あくまで最初の小規模な部隊です。ですが、これは間違いなく、今後の軍拡競争の新たな段階を意味します」
オルコットは、鎮魂会に託した鍵の重みを、改めて思い知らされた。あの鍵は、いつか本当に必要とされる日のために、静かに眠り続けている。だが、その「いつか」が、恐ろしい速さで近づいているように感じられた。
「――同盟側は、対抗策を」
「すでに、同種の計画を加速させる方針です。ドーベル少将の話では、次の予算審議で、大幅な増額が見込まれているとのことです」
「両国とも、止まらないということか」
「はい。今のところ、それを止める材料は、どこにも見当たりません」
オルコットは、その報告を受けて、ハルシオンで払われた代償の大きさを、改めて思い起こした。あれほどの犠牲を払ってもなお、両国は軍拡の手を緩めるどころか、むしろ加速させている。まるで、犠牲そのものが、次の軍拡を正当化する材料として利用されているかのようだった。
セシルが、静かに口を開いた。
「私が設計チームで見てきた自律核の倫理制限――枷は、あくまで暴走を防ぐための最低限の仕組みに過ぎません。もし、この軍拡競争が制御を失えば、その枷すら、いずれ形骸化していくかもしれません」
その言葉に、オルコットは背筋の冷たさを覚えた。枷が形骸化する未来。それがどのような結末をもたらすのか、彼にはまだ具体的に想像することができなかった。だが、漠然とした不吉な予感だけは、確かに胸の奥に根を下ろしていた。
「セシル、お前が設計に関わった枷そのものは、今回の実戦配備計画にも組み込まれているのか」
「はい。基本設計は、私が携わっていた頃のものが、そのまま踏襲されているはずです。ただ――」
「ただ?」
「軍拡が進めば進むほど、現場からは『枷が判断を遅らせる』という不満の声が上がりやすくなります。効率を優先するあまり、枷そのものを緩和すべきだという議論が、いずれ出てくるかもしれません」
「――それは、危険な話だな」
「はい。ですが、軍事の論理は、しばしば安全よりも効率を優先します。私がチームを離れた後も、その圧力がどう働いているか、正確には分かりません」
オルコットは、セシルの表情に浮かぶ不安の色を見て取った。彼女がかつて所属していた組織が、今もなお、彼女の知らないところで、危険な方向へと歩みを進めているかもしれない。その事実は、彼女にとって、決して他人事ではなかった。
オルコットは、その言葉を、しばらく黙って受け止めた。世論という得体の知れない力が、両国の軍拡を後押しし続けている。その流れの中で、自分たちにできることが、あまりにも小さく思えてならなかった。
「――俺たちにできることは、鍵を守り抜くことだけだ」
オルコットは、そう繰り返した。それは、これまで幾度となく自分に言い聞かせてきた言葉だった。だが、その言葉の重みは、時を追うごとに増していくばかりだった。ハルシオンで払われた代償、両国で加速する軍拡、そして自律無人艦という新たな脅威――それらすべての先に、鍵の存在がどのような意味を持つことになるのか、彼にはまだ、その全貌を見通すことができなかった。それでも、目の前にある一つの確信――この鍵を、決してどちらの国家にも独占させてはならないという確信だけは、揺らぐことがなかった。
窓の外、ドックに係留された《薄明》の外殻には、まだ修理の跡が生々しく残っていた。オルコットは、その傷跡を見つめながら、これから訪れるであろう、さらに困難な日々を、静かに覚悟した。
休憩室を出た後、オルコットはドックの整備状況を確認するため、艦の外殻に沿って歩いた。修理班が、損傷した装甲板を一枚ずつ交換していく作業を、黙々と続けていた。作業主任が、オルコットに気づき、声をかけてきた。
「艦長、修理完了まで、あと三日ほどかかりそうです。冷却系の配管が、想定以上に傷んでいまして」
「急がなくていい。確実に直してくれ。次にいつ、また出撃することになるか分からないからな」
「承知しました」
作業主任は、そう言って持ち場に戻っていった。オルコットは、装甲板の交換作業を、しばらくの間、無言で見つめ続けた。艦という機械もまた、人間と同じように、傷を負い、それを癒やしながら、次の戦いに備えていく。その様子に、彼はどこか、自分自身の心境を重ねずにはいられなかった。
ドックの一角では、今回の防衛戦で戦死した乗員たちの追悼式が、近く執り行われる予定になっていた。オルコットは、その式典の準備状況についても、担当士官から報告を受けていた。
「――遺族への連絡は」
「順次進めています。ただ、辺境の入植地に住む家族も多く、通信網の混乱もあって、完了までにはもう少し時間がかかりそうです」
「急かすな。丁寧に伝えてくれ。数字ではなく、一人の人間として」
「承知しました、艦長」
オルコットは、その返答に頷きながら、改めて、自分たちが背負っているものの重さを噛みしめた。勝利と呼ばれる結末の裏側には、常にこうした地道な、しかし決して疎かにできない作業が積み重なっている。彼は、その一つひとつに、最後まで責任を持つつもりだった。
(第70話へ続く)