次の技術交流会議まで待つわけにはいかなかった。ラスクは同盟外務局を通じ、「灰域航行安全に関する技術協議」という名目で、臨時の実務者会合をヴェスタ港で設定した。表向きは航路標識の更新に関する事務的な会合であり、双方から二名ずつという小規模なものだった。準備には一週間ほどかかり、その間オルコットは通常の哨戒任務をこなしながら、密かに落ち着かない日々を過ごしていた。

同盟側の代表としてオルコットが指名されたのは、ラスクの差し金だとすぐにわかった。連邦側の出席者リストに、セシル・マーロウの名前があったからだ。名簿を確認した瞬間、オルコットは自分の心拍がわずかに速くなるのを感じた。それが任務への緊張なのか、それとも別の何かなのか、彼自身、正確には判別がつかなかった。

もう一人の同盟側代表は、航路標識管理局の事務官だった。実務には長けているが、政治的な機微には疎い人物だとラスクは評していた。「彼には何も気づかせずに済むはずです」――ラスクはそう言って、任命の書類にあっさりと署名していた。オルコットはその手際の良さに、改めてこの参謀の恐ろしさを感じた。

会合の前夜、《薄明》は再びヴェスタ港の外縁ドックに係留された。前回と同じ通路、同じエアロックの加圧音。だが今回は、その先に何が待っているかを、オルコットはある程度予期していた。

会合そのものは、予定通り一時間半で終わった。技術的な議題はほとんど形式的なもので、実質的な合意事項もなかった。航路標識の更新周期、ビーコンの出力調整、双方の艦が使う識別コードの整合性――どれも、実際にはどちらが提案してもすぐに合意できるような、当たり障りのない内容だった。書記官が議事録を読み上げ、双方の代表が署名を交わして会合は終わった。

議事の合間、オルコットは自分の視線がセシルの方へ何度も向いてしまうことに気づき、その都度、意識して航路標識の資料へ視線を戻した。同盟側のもう一人の代表である事務官は、そんなオルコットの様子に気づく様子もなく、ひたすら出力調整の数値に没頭していた。おかげで、余計な詮索を受けずに済んだのは幸いだった。

だが会合後、給仕エリアで再びオルコットとセシルは居合わせた。今度は偶然ではないことを、二人とも薄々察していた。給湯器の前で、セシルは自分のカップに合成コーヒーを注ぎながら、わざとらしくないほどの自然さでオルコットの隣に立った。

「また会いましたね、艦長」

「グレイで構いません」

「では、私もセシルで」

しばらく当たり障りのない会話が続いた。灰域の気候、ヴェスタ港の食堂の質、双方の艦の居住性の違い。

「同盟のフリゲートって、居住区はどれくらいの広さなんですか」

「一人当たりの専有面積で言えば、連邦の駆逐艦よりは狭いはずです。量産艦なので」

「狭いのは慣れですよ。私が乗っていた連邦の練習艦なんて、寝台の上でしか着替えられませんでした」

「それは災難だ」

セシルは小さく笑った。だが会話の端々に、彼女は時折、言葉を選ぶような間を挟んだ。何かを言おうとして、その手前で踏みとどまるような、そんな間だった。

「艦長は、なぜ軍人に?」

不意にセシルが尋ねた。

「特に理由はありません。生まれた植民惑星が、軍に入るのが一番手っ取り早く技術と資格を身につけられる場所だった。それだけです」

「意外です。もっと信念があって選んだ道なのかと」

「信念は後から付いてきました。最初は、ただの職業選択です。あなたは?」

「私は、家族の中に技術者が多くて。自然な流れでした。ただ、途中から――」

セシルはそこで言葉を止めた。オルコットは急かさず、続きを待った。

「途中から、何を作っているのか、自分でもよくわからなくなる瞬間があります。安全のための設計をしているはずなのに、それが本当に安全につながっているのか、確信が持てなくなる」

その言葉に、オルコットは何かを言いかけたが、飲み込んだ。まだ踏み込む段階ではない、と自分に言い聞かせた。

「――技術士官として伺いますが」

オルコットは慎重に切り出した。

「自律核の倫理制限設計というのは、実際にはどれほど厳密なものなんですか。噂では、戦時特例で緩められる余地がある、とも聞きますが」

セシルの表情がわずかに硬くなった。ヴェスタ港で見せたのと同じ、あの一瞬のこわばりだった。周囲の給仕エリアには、他の士官たちがまばらに立ち話をしている。誰かに聞かれる距離ではなかったが、セシルは無意識のうちに声のトーンを落としていた。

「……その質問を、なぜ私に?」

「純粋な好奇心です。ただ、あなたがその議題に触れたとき、いつも同じ顔をする。何か、公式見解とは違う考えをお持ちなんじゃないかと」

セシルは長い沈黙のあと、周囲に人がいないことを確認してから、抑えた声で言った。合成コーヒーのカップを両手で包み込むように持ち、視線を落としたまま言葉を続ける。

「――倫理制限は、確かに戦時特例で緩められます。私はその緩和条件の設計に関わっている。理論上は安全域内に収まる設計です。ただ、理論通りに行かなかった事例を、私は知っています」

オルコットの心臓が跳ねた。だが表情には出さなかった。長年の指揮官経験が、こういう瞬間に感情を押し殺すことを彼に教えていた。

「事例、というのは」

「言えません。ここでは」

セシルはそう言って、話題を変えた。だが彼女の目には、明らかに何かを抱え込んだ人間の重さがあった。オルコットはそれ以上踏み込まず、話題を航路標識の議題に戻した。当たり障りのない会話が、また少し続いた。

「そういえば、次のビーコン更新の件、同盟側の提案書を読みました。出力調整の数値、随分細かく詰めてありますね」

「担当官が几帳面な人でして。私が口を出す余地はほとんどありません」

「羨ましいです。うちのチームだと、細部を詰める前に、上から急かされて雑になることが多い」

「戦時特例の話と同じですか」

セシルは一瞬、返答に詰まった。オルコットはその反応に、質問の踏み込み方を誤ったかと内心で反省した。

「――似たようなものです。急いで作ったものほど、後で問題が出ます」

その言葉には、単なる技術的な愚痴以上の重みが滲んでいた。オルコットはそれを聞き逃さなかったが、それ以上追及することはしなかった。

会合の終わり際、セシルは去り際に、ごく小さな声でオルコットに言った。

「――次の会合、私からも設定できます。もし、艦長がまた技術的な質問をお持ちなら」

それは招待だった。オルコットは短く頷いた。

「ぜひ、お願いします」

「では、また連絡します。今度は、もう少し時間の取れる場所で」

セシルはそれだけ言って、連邦側の一団の中へ戻っていった。彼女の背中を見送りながら、オルコットは自分の胸の内に、任務上の思惑だけでは説明のつかない何かが芽生えているのを感じていた。

《薄明》へ戻る道すがら、オルコットは自分の胸の内にある感情が、任務上の打算だけではないことに気づいていた。それが厄介なことだとわかっていながら、彼はその気づきを振り払わなかった。灰域を渡る連絡艇の窓から、暗闇の中に点在する残骸の光がゆっくりと流れていくのを、彼はしばらく黙って眺めていた。

艦に戻ると、ダーナが出迎えた。

「艦長、お帰りなさい。会合はいかがでした」

「いつも通りだ。航路標識の更新周期の話と、ビーコンの出力調整の話」

「そちらはそちらで大事なんでしょうけど、艦長がそれだけのために随行するには、少し大げさな気もしますね」

ダーナの言葉に、オルコットは一瞬言葉に詰まった。

「――そうかもな」

それ以上は何も言わず、オルコットは自室へと向かった。ラスクの計画、セシルの表情、そして自分自身の胸の内に芽生えた感情。すべてが絡み合い、まだ形になっていない何かへと収束しつつあることを、彼は自覚し始めていた。

その夜、艦長室でオルコットはラスクへの報告書を書きながら、何度も文面を書き直した。「マーロウ技術士官、協力の可能性あり」という一文を、事務的な報告として書くことに、彼は妙な抵抗を覚えた。彼女を単なる情報源として書類に記すことが、何か彼女自身への裏切りのように感じられたのだ。

結局、報告書には最低限の事実だけを記し、彼女の表情や言葉の細部については書かなかった。それらは、まだ自分の中だけに留めておきたい。オルコットはそう思う自分に、少し戸惑いながらも、端末を閉じた。

窓の外、灰域の暗闇の中に、連邦領の光がかすかに滲んでいた。あの光のどこかに、彼女がいる。オルコットはしばらくの間、その光を見つめ続けていた。

艦の心臓部から伝わる規則正しい振動が、いつものように寝台の下から響いてくる。だが今夜は、その音がやけに大きく感じられた。眠りに落ちるまでの間、オルコットの頭の中には、セシルの声の抑揚や、給仕エリアの合成コーヒーの匂いや、展望デッキの光の記憶が、断片的に浮かんでは消えていった。任務のことを考えているつもりが、いつの間にか、彼女自身のことを考えている自分に気づき、彼は小さく苦笑した。厄介なことになった、と思いながらも、その厄介さを嫌だとは思えない自分もいた。

(第8話へ続く)