ヴェスタ港は、灰域の中央に浮かぶ人工衛星港湾だった。連邦・同盟のどちらの領有権も及ばない中立地区として、開戦前の数少ない「両陣営が武器を降ろして顔を合わせられる場所」のひとつだ。年に一度の技術交流会議は、この港のドーム型会議区画で開かれる。
ドックへ向かう最終進入の間、オルコットは操舵席越しに港湾の全景を眺めていた。円環状に連なる居住区画、その中心を貫く巨大なドーム。ドームの外壁には、連邦と同盟双方の紋章が、故意なのか偶然なのか、まったく同じ大きさで刻まれている。中立を演出するための、いかにも作り物めいた対称性だった。港湾管制からの誘導信号がコンソールに点滅し、《薄明》はゆっくりと外縁ドックへと機体を沈めていく。金属同士が噛み合う音、係留アームが船体を掴む鈍い衝撃。エアロックが加圧される甲高い音が、艦内にしばらく反響していた。
《薄明》をヴェスタ港の外縁ドックに係留し、オルコットは私服に近い略式軍装で艦を降りた。階級章だけを残した簡素な出で立ちは、港湾内での目立ちすぎを避けるための配慮でもあった。出迎えたのは、参謀本部所属の細身の男――イオン・ラスクだった。
「お待ちしておりました、オルコット艦長」
「随行というのは、荷物持ちですか」
「まさか。あなたには会議の間、連邦側の様子を見ておいてほしいだけです。技術士官同士の会話に、思いがけない本音が混じることがある」
ラスクの物言いは丁寧だが、どこか隙がなかった。参謀という肩書きの割に、階級章が示すより明らかに強い発言力を持っていることを、オルコットは初対面で感じ取った。歩調も、言葉の選び方も、常に一手先を計算しているような男だった。
「随行の理由が、それだけとは思えませんが」
「鋭いですね。ですが今はまだ、それだけで結構です」
ラスクはそう言って軽く微笑んだが、目は笑っていなかった。二人は港湾内の連絡通路を並んで歩いた。通路の窓からは、灰域の暗闇に浮かぶ他国籍の艦影がいくつも見える。連邦の輸送艦、同盟の巡視艇、身元不明の民間貨物船。中立港ならではの雑多な光景だった。
会議区画に入ると、連邦・同盟双方の技術士官が十数名ずつ、円卓を囲んで座っていた。議題は例年通り、航法標準の互換性やら通信プロトコルの微調整やら、実質的にはどうでもいい内容だ。書記官が淡々と議事録を読み上げ、双方の代表が形式的な相槌を打つ。オルコットは末席で、連邦側の顔ぶれを観察する役に徹していた。
オルコットはこの手の会議に慣れていなかった。艦橋での短く実務的なやり取りと違い、ここでは誰もが持って回った言い方をする。議題の一つ一つに、表向きの言葉とは別の意図が張り付いているように感じられ、彼はただ黙って聞き役に徹することにした。時折、隣に座るラスクが小声で連邦側の発言者の経歴を耳打ちしてくる。その情報量の細かさに、オルコットは内心舌を巻いていた。参謀本部というのは、こんなところまで把握しているものなのか。
その中に、ひときわ若い技術士官がいた。連邦軍の階級章をつけた女性で、発言の合間に見せる表情が、周囲の官僚的な士官たちとは明らかに違っていた。議題が自律核の倫理制限規格の話題に触れたとき、彼女だけが一瞬、露骨に顔をこわばらせたのをオルコットは見逃さなかった。他の連邦士官たちは、まるで天気の話でもするような平坦さでその議題を通過させていたというのに。
隣に座るラスクも、その一瞬を見逃さなかったらしい。オルコットは横目でラスクの表情を窺ったが、参謀は涼しい顔で議事録に何かを書き込んでいるだけだった。何を考えているのか、オルコットにはまだ読み切れなかった。
議題は次に移り、彼女は何事もなかったように発言を続けた。だがオルコットの中には、その一瞬の表情が奇妙に焼き付いて離れなかった。
休憩時間、給仕エリアでオルコットはその女性と居合わせた。無味乾燥な合成コーヒーの匂いが漂う一角、双方の士官たちがぽつぽつと固まって立ち話をしている。
「――さっきの議題、あまりお好きではないようだ」
思わず口をついて出た言葉に、彼女は驚いたようにオルコットを見た。
「同盟の方ですね。声をかけていいのかどうか、わかりませんが」
「技術交流会議です。声をかけるための場でしょう」
彼女は小さく笑った。硬さの取れた表情は、意外なほど若く見えた。
「セシル・マーロウです。連邦軍技術士官」
「グレイ・オルコット。フリゲート《薄明》艦長です」
「艦長が、こういう会議に出席されるのは珍しいですね」
「今日が初めてです。随行という名目で」
「随行、ですか」
セシルはそれ以上追及しなかったが、目にわずかな興味の色が浮かんだのをオルコットは見た。名乗り合っただけの、他愛のない会話だった。だがオルコットは、彼女が自律核の話題に見せた表情の意味を、まだこのとき知らなかった。
「連邦の食堂よりは、ここの合成コーヒーの方がまだましだ、とよく言われます」
セシルが唐突にそう言って、カップを軽く掲げてみせた。
「同盟の艦内食も似たようなものですよ。慣れれば飲めます」
「慣れれば、というのが正直でいいですね」
そんな他愛のない話が、しばらく続いた。天候の話、ヴェスタ港の造りの話、双方の艦の居住区の違い。政治的な話題には互いに触れず、それでいて会話が途切れることはなかった。
「艦長は、この港に来たことは?」
「いえ、今日が初めてです。哨戒航路からは少し外れた位置にあるので」
「私は三度目です。毎回、ドームの天井の色が違う気がするんですが、気のせいでしょうか」
「気のせいでは。それとも港湾管理局の趣味かもしれません」
セシルはそれに小さく笑った。屈託のない笑い方だった。だがその笑いの端に、どこか無理をして作っているような影があることに、オルコットは気づいていた。三十分前に見せた、あの一瞬のこわばりの残滓のようなものが、まだそこにあった。
「オルコット艦長は、随行という肩書きにしては、ずいぶん熱心に議事を聞いていましたね」
「見られていましたか」
「末席で、身じろぎもせずに。目立ちますよ、それは」
「性分です。任務なら、手を抜けない」
セシルはそれに何か言おうとして、しかし言葉を飲み込んだ。休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、双方の士官たちが席へ戻り始める。
「――また、機会があれば」
セシルはそれだけ言って、連邦側の一団の中へ戻っていった。オルコットはその背中をしばらく見送ってから、自分の席へ戻った。
会議が再開される直前、ラスクがオルコットの隣に来て小声で言った。
「マーロウ技術士官、ですか。彼女は連邦の自律核倫理制限設計チームの一員です。まだ若手ですが、発言力はある」
「随分詳しいですね」
「参謀本部ですから。それが仕事です」
ラスクの目には、単なる情報収集以上の何かが宿っていた。オルコットはそれを気に留めながらも、この時点では深く追及しなかった。何かを企んでいるのだとしても、今の自分にその全貌を尋ねる資格はまだない、という妙な遠慮があった。参謀本部の思惑と、一介の艦長である自分との間には、まだ大きな距離があるはずだった。
「艦長には、もう少しこの会議に慣れていただく必要がありそうです」
「また随行させるつもりですか」
「ええ。次の機会にも」
ラスクはそれだけ言うと、円卓の方へ向き直ってしまった。オルコットは釈然としないものを抱えたまま、自分の席に戻った。
会議は定刻通りに終わり、双方は握手も交わさずそれぞれの艦へと戻っていった。儀式は儀式のまま、何も変わらずに終わる――例年通りのはずだった。書記官が議事録の最終確認を読み上げ、双方の代表が形式的に頭を下げる。それだけの、いつも通りの幕引きだった。
だが《薄明》へ戻る通路で、オルコットは一度だけ振り返った。連邦側の一団の中に、セシル・マーロウの背中があった。彼女もまた、一瞬だけ振り返っていた。
目が合ったのは、一秒に満たない時間だった。
エアロックを抜け、艦内の空気に触れた瞬間、オルコットは自分がまだその一秒を反芻していることに気づいた。任務上、意味のある一秒ではない。それなのに、なぜかその一秒だけが、今日一日の中で最も鮮明に記憶に残っていた。
艦内へ戻ると、ダーナが出迎えた。
「お帰りなさい、艦長。会議はいかがでした」
「代わり映えのしない内容だったよ。航法標準の話と、通信プロトコルの話と」
「随分あっさりですね。何か掴めましたか」
オルコットは一瞬迷ってから、首を横に振った。
「いや、まだ何とも言えない。ただの技術交流会議だ」
そう答えながらも、彼の頭の中では、セシル・マーロウの表情と、ラスクの意味深な視線とが、繰り返し交差していた。それが単なる好奇心なのか、それとも何かもっと大きなものの予兆なのか、この時点ではまだ判断がつかなかった。
その夜、艦長室でオルコットは報告書を作成しながら、ふと手を止めた。技術交流会議随行――その一文が意味していたものは、少なくとも今日一日に限って言えば、拍子抜けするほど平凡なものだった。だが、ラスクが「次の機会にも」と口にした一言が、頭の隅にこびりついて離れなかった。
《薄明》は定刻通りにヴェスタ港を離れ、灰域の哨戒航路へと戻っていった。窓の外に広がる暗闇は、来た時と何一つ変わっていないはずだった。それでもオルコットには、その暗闇が心なしか、少しだけ違って見えた。
(第3話へ続く)