灰域全域で、両国艦隊の激突が始まった。かつてない規模の砲撃が、暗闇を切り裂いていく。無数の光条が交錯するその光景は、これまでオルコットが見てきたどの戦闘とも、規模において隔絶していた。
《薄明》の装甲越しにも伝わってくる砲撃の反動が、絶え間なく艦全体を震わせていた。慣性制御装置が唸りを上げ、乗組員たちの体を椅子へと押し付ける。オルコットは、その振動の中で、艦長席の肘掛けを強く握りしめていた。
金属の軋む音が、艦の至る所から聞こえてきた。まるで艦自体が、悲鳴を上げているかのようだった。オルコットは、その音の一つ一つに、これまで幾度も潜り抜けてきた戦闘の記憶を重ね合わせながら、艦の限界を、感覚として測ろうとしていた。
「――シールド出力、七十パーセントまで低下!」
「予備エネルギーを回せ、まだ持ちこたえられる!」
怒号にも似た報告と指示が、絶え間なく飛び交っていた。艦橋の照明が、被弾のたびに明滅し、その度に誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。
「――《明星》級、被弾!」「《カラバン》級、応戦中!」
艦橋には、絶え間ない報告が飛び交った。艦名と被害状況が、次々と読み上げられていく。その一つ一つの背後に、これまで顔を合わせたこともある指揮官たちの姿を、オルコットは思い浮かべずにはいられなかった。境界防衛艦隊の合同演習で、何度か言葉を交わした艦長もいる。彼らが今、この瞬間、どんな状況に置かれているのか、想像するだけで、胸の奥が締め付けられた。
オルコットは、境界防衛艦隊の一角を担い、巧みな機動戦で連邦艦隊の一部を食い止めていた。短距離跳躍炉のチャージ状況を常に確認しながら、いつでも離脱可能な体勢を保つ――それが、彼がこれまでの実戦で培ってきた、生き残るための鉄則だった。
「――砲雷長、左舷への集中砲火、続けろ!機関長、跳躍炉のチャージは」
「六割まで回復しています。まだ跳躍には使えません」
「分かった。もうしばらく、この場に留まる」
窓の外、視界を埋め尽くす閃光の海を眺めながら、オルコットは、この一戦がこれまでのどの戦闘よりも長引くであろうことを、肌で感じ取っていた。両軍とも、簡単には退かない。退けない理由を、それぞれの艦が、それぞれの乗組員が、背負っているからだった。
閃光が瞬くたびに、艦橋の壁面に、乗組員たちの影が、一瞬だけ大きく揺れて映し出された。オルコットは、その影絵のような光景を目の端で捉えながら、この一つ一つの影の下に、生きて帰るべき人間がいることを、あらためて自分に言い聞かせた。
「――連邦艦隊、新型艦を投入しています!」
レフの声に、緊張が走った。
「新型、とは」
オルコットは、モニターに映る不慣れな艦影に目を凝らしながら問うた。
「無人艦です。自律無人艦の実戦配備部隊、正式に投入されたようです」
オルコットの脳裏に、ノクターンで対峙した戦闘機兵の姿がよぎった。あれの、艦艇規模の存在が、今、実戦に投入されようとしていた。あの氷の回廊で相対した機兵の、ためらいのない無機質な動きを思い出すと、背筋に冷たいものが走った。
あの時は、まだ試作段階の一体に過ぎなかった。だが、今、目の前に展開しようとしているのは、それが艦艇規模にまで拡張され、正式に配備された部隊だという。連邦が、この開発計画にどれほどの資源を注ぎ込んできたか、その規模の大きさを、オルコットは今さらながら思い知らされていた。
「――数は」
「確認できる限り、6隻。まだ試験的な規模ですが、動きが人間の乗る艦とは明らかに違います」
レフの声には、これまでの戦闘報告にはなかった、独特の緊張感があった。彼もまた、これまでの実戦経験を通じて、敵の動きを読むことにかけては、艦内でも屈指の技量を持つ男だった。その彼をして、これほどの緊張を滲ませるということは、事態が、これまでとは根本的に異なる局面に入ったことを意味していた。
「――艦長、無人艦の推進機構、人間の乗る艦とは冷却系の設計思想自体が違うようです。連続稼働時間の制約が、著しく緩和されている可能性があります」
機関長からの報告に、オルコットは眉をひそめた。連続隠蔽時間や跳躍炉のチャージ時間といった、これまで両軍が共通して抱えてきた制約――それが、無人艦には当てはまらないかもしれない。だとすれば、これまでの戦術の前提そのものが、覆されることになる。
「――人間なら、機体への負荷を考えて、絶対に選ばない機動を、平然とやってのける。乗員の安全という制約がない分、艦体の設計そのものに、これまでとは違う自由度がある、ということか」
オルコットは、独り言のように呟きながら、モニターに映る無人艦の航跡を睨みつけた。これまで両軍が積み重ねてきた戦術の前提――人間の生存本能と、機体の耐久限界という、暗黙の制約――それが、この一隻によって、根底から覆されようとしていた。
無人艦は、人間なら躊躇するような危険な機動を、迷いなく実行してきた。急激な進路変更、通常なら艦体への負荷を懸念して避けるはずの高機動が、何のためらいもなく繰り返される。境界防衛艦隊の一部が、その予測不能な動きに翻弄され始めた。
「――《カラバン》級の一隻が、無人艦の急接近を回避しきれず、側面に直撃を受けました!」
通信士の悲鳴に近い報告が響いた。オルコットは、モニターに映るその艦の損傷状況を、食い入るように見つめた。乗員の生存が確認できるまで、しばらくの間、艦橋には重い沈黙が流れた。
「――生存者、確認できました。ただし、多数の負傷者が出ている模様です」
その報告に、艦橋の空気が、わずかに緩んだ。だが、根本的な脅威は、何も解決していなかった。
「――くそ、読めない動きをしやがる」
砲雷長の声に、苛立ちが滲んだ。人間の乗る艦であれば、生存本能に根差した予測可能な動きがある。だが、無人艦にその制約は存在しない。
「セシル、対策は」
オルコットの問いに、セシルは素早く端末を操作した。
「無人艦の制御信号、周波数帯にパターンがあります。完全な妨害は無理ですが、遅延を発生させることはできるかもしれません」
彼女の指先が、慣れた手つきで解析画面を操作していく。かつて枷の設計に携わっていた経験が、今、この局面で、思わぬ形で役立っていた。倫理制限の設計チームにいた頃、彼女は、自律核の制御信号がどのような論理で構築されているか、誰よりも深く理解していた。皮肉にも、その知識が、今、祖国の兵器を打ち破るために使われようとしている。
「――周波数帯、特定できました。ここに、擬似干渉波を重ねます」
セシルの声は、緊張しながらも、確かな手応えを帯びていた。彼女の指が、最後の確認操作を終えると、端末の画面に、新たな解析結果が浮かび上がった。
「頼む」
セシルの電子戦支援により、無人艦の反応にわずかな遅れが生じ始めた。数値にすれば、わずか0.3秒に満たない遅延だった。だが、艦艇規模の機動において、その0.3秒は、致命的な差になり得る。その隙を突き、境界防衛艦隊は、着実に戦線を押し返していった。
「――押し返しています!」
艦橋に、束の間の安堵が広がった。だが、勝利の実感は薄かった。無人艦という、これまでにない敵の存在は、この戦争が、これまでの戦争とは根本的に異なる性質を帯び始めていることを、はっきりと示していた。
「――これが、始まりか」
オルコットは、艦橋の窓から、灰域に広がる戦火を見つめながら呟いた。人間同士の戦争に、機械という新たな要素が加わろうとしている。その先に何が待っているのか、彼にはまだ、見通すことができなかった。
正規管制鍵――あの氷の聖堂の奥深くに守られた記憶結晶と台帳が、なぜこれほどまでに重要視されてきたのか、その理由が、今、はっきりと形になろうとしていた。自律核が本格的に実戦投入される時代が来れば、いつか、それを制御する必要に迫られる日が来る。ラスクが最初にそう語った時、オルコットはまだ、その意味を半分程度しか理解していなかった。だが、今、目の前で繰り広げられている光景こそが、その予兆そのものだった。
まだ6隻という、試験的な規模に過ぎない。だが、この戦争が長引けば長引くほど、その数は、間違いなく増えていく。オルコットは、そう遠くない未来に、灰域が無人艦で埋め尽くされる光景を、思わず想像してしまい、背筋に冷たいものを感じた。
セシルが、彼の隣で、静かに端末の画面を見つめていた。
「――この程度の遅延では、いずれ通用しなくなります。連邦は、必ず対策を講じてくるはずです」
「ああ。今回のこれは、あくまで最初の一歩に過ぎない」
セシルは、端末の画面から目を離さないまま、小さく頷いた。
「――今日、通用した手も、明日には無効化されているかもしれません。この戦争は、そういう戦争になる。技術の更新が、そのまま戦況を左右する」
「それでも、今日は、お前のおかげで、多くの命が救われた。それだけは、確かなことだ」
オルコットは、その言葉に頷きながら、艦橋の各所から上がる戦闘報告に耳を傾け続けた。開戦初日にして、すでに、これまでの戦いの常識が、大きく揺らぎ始めていることを、彼は肌で感じ取っていた。この戦争が、これまでのどんな戦争とも違う、長く、そして底の見えない消耗戦になることを、彼はまだ言葉にはできないまま、確信し始めていた。
艦橋の照明の下、乗組員たちの顔には、疲労の色が滲み始めていた。それでも、誰一人として、持ち場を離れようとはしなかった。オルコットは、その姿の一つ一つに、この艦がこれまで積み重ねてきた絆の確かさを、あらためて見て取った。
(第88話へ続く)