連邦国内の報道は、この時期を境に、明確な変化を見せ始めた。

セシルが同盟軍の技術顧問として傍受・分析した連邦国内向け放送記録には、「同盟による一連の軍事的挑発行為」「境界防衛艦隊による不当な武力行使」「技術士官拉致事件」といった見出しが、繰り返し流されていた。オルコットは、その記録映像を、艦橋の隣にある小会議室で、セシルとダーナとともに確認していた。画面には、連邦の国旗を背景にした男性キャスターが、抑揚をつけた声で原稿を読み上げる姿が映し出されていた。

「――巧妙です」

セシルは、苦い顔で言った。

「事実の断片は、嘘ではありません。ただ、文脈が完全にすり替えられている。私が自らの意思で亡命したことも、『拉致』という言葉一つで、正反対の意味に塗り替えられています」

画面には、セシル自身の顔写真とともに、「行方不明の技術士官、同盟による関与の疑い」という字幕が表示されていた。彼女は、自分の顔が見知らぬ物語の中で消費されていく様を、静かに、しかし確実に傷ついた表情で見つめていた。

「同盟側の報道は」

オルコットが尋ねると、ダーナが答えた。

「同様です。連邦による非正規部隊の侵攻、狙撃事件、灰域衝突事件――これらはすべて事実ですが、報道はそれを最大限に煽る形で伝えられています」

ダーナが操作する別画面には、同盟の放送局が制作した特集番組が映っていた。灰域での小競り合いの映像に、勇壮な音楽が重ねられ、「祖国防衛の最前線」という煽情的なタイトルが躍っていた。オルコットは、そこに映る自分たちの戦いが、まるで別の物語のように演出されていることに、居心地の悪さを覚えた。

両国の世論は、互いを完全な悪役として描く物語に、急速に染まりつつあった。オルコットは、そのどちらの物語にも、真実の断片は含まれているという事実に、かえって恐ろしさを感じた。嘘だけで塗り固められた物語であれば、いずれ矛盾が露呈し、崩れる余地がある。だが、真実の欠片を巧みに織り交ぜられた物語は、聞く者の心に、抜きがたく根を張ってしまう。

「――誰も、嘘をついているという自覚がないまま、戦争へ向かっているということか」

「そう思います」

セシルは、静かに窓の外を見つめた。灰域の暗闇の向こうに、故郷の光がかすかに滲んでいるような気がした。もちろん、そんな距離から惑星の灯りが見えるはずもない。それは、彼女の記憶が見せる幻影に過ぎなかった。

「私たちが本当に知っている真実――鍵の存在、集落の悲劇、それを覆い隠してきた両国の隠蔽体質。それを公にできれば、あるいはこの流れを止められるかもしれません。でも……」

「公にすれば、両国の国民は、自分たちの政府がどれほど自分たちを欺いてきたかを知ることになる。その衝撃が、かえって収拾のつかない混乱を招くかもしれない」

「はい」

二人は、重い沈黙の中で、その事実を噛みしめた。真実を明かすことすら、もはや単純な解決策にはなり得なかった。ダーナが、遠慮がちに口を挟んだ。

「一つの見方をすれば、私たちも、この物語の登場人物にされているということですね。同盟側の英雄譚にも、連邦側の悲劇の被害者譚にも」

「その通りだ」

オルコットは、苦笑にも似た表情で答えた。

「俺たちが実際に何を考え、何を選び、何を守ろうとしているかなど、どちらの物語にも、正確には描かれない。都合のいい役を、勝手に割り当てられるだけだ」

「――俺たちにできることは、限られている」

オルコットは、静かに言った。

「鍵を、これ以上誰の手にも渡さないこと。そして、目の前で起きることに、一つひとつ向き合うこと。それだけだ」

セシルは、小さく頷いた。だがその表情には、まだ拭いきれない不安の影が残っていた。

「――グレイ、もし両国の対立がこのまま本格的な戦争にまで発展したら、私はどちらの側にも属せない人間になります。連邦からは裏切り者と呼ばれ、同盟からは異物として扱われる。私には、帰る場所がなくなるかもしれません」

オルコットは、その言葉に、すぐには答えられなかった。彼自身、同盟軍の艦長としての立場と、鍵を巡る秘密の共犯者としての立場との間で、すでに引き裂かれかけていた。

「――帰る場所なら、俺が作る」

それは、根拠のある約束ではなかった。だが、口にせずにはいられなかった。セシルは、驚いたように彼を見つめ、それから小さく、寂しげに微笑んだ。

灰域の暗闇の向こうで、両国の艦隊が、静かに、しかし着実に、次の衝突への準備を整えていた。会議室の画面には、まだ両国の煽情的な報道が、途切れることなく流れ続けていた。

会議が終わった後、ダーナは記録用の端末を片付けながら、ふと呟いた。

「艦長、この傍受記録は、後々の歴史資料として残すべきかもしれません。今この瞬間、両国がどれほど都合よく事実を捻じ曲げているか――それを示す証拠として」

「――残しておけ。だが、扱いには注意しろ。この記録の存在自体が、俺たちの活動を裏付ける証拠にもなりかねない」

「承知しました。厳重に保管します」

ダーナが退室した後、会議室にはオルコットとセシルだけが残された。画面には、まだ両国の報道が、音を絞った状態で流れ続けていた。セシルは、しばらくその画面を見つめた後、静かに言った。

「――子どもの頃、私は連邦の広報番組を見て育ちました。宇宙の平和を守る、正義の軍隊。そういう物語を、疑うことなく信じていました」

「今は」

「今は、あの番組の裏側にどれほどの嘘が仕込まれていたか、痛いほどよく分かります。でも不思議なのは、それでも時々、あの頃の単純な誇りを、懐かしく思い出してしまうことです」

オルコットは、彼女の横顔を見つめた。故郷を裏切っているわけではない、と彼女は以前言った。だが、故郷そのものへの複雑な愛着は、簡単に消えるものではないのだろう。

「俺も、似たようなものだ」

「グレイも?」

「同盟軍に入った頃は、単純に、自分たちの領域を守る仕事だと思っていた。政治のことなど、深く考えたこともなかった。今は、その単純さが、ある種の欺瞞の上に成り立っていたことを知っている。それでも、艦を任され、乗員を預かる責任そのものは、当時から今まで、何一つ変わっていない」

「――責任だけは、物語に染まらない、ということですね」

「そうだと思いたい」

二人は、しばらく無言のまま、画面に映る両国の報道を見つめ続けた。会議室の照明が、時折、画面の光に反射して、二人の顔を淡く照らしていた。

やがてセシルが席を立ち、「休んでください」と静かに告げて部屋を出て行った。オルコットは一人残り、画面の電源を落とした。突然の静寂の中、彼はしばらくの間、暗くなった会議室に座り続けていた。両国が紡ぐ二つの物語のどちらにも属さない、第三の真実――それを知る者として生きることの孤独を、彼は改めて噛みしめていた。

翌朝、ラスクが持ってきた追加の分析資料には、両国の報道が国民に与えている影響についての、より具体的な数字が並んでいた。

「連邦国内の世論調査では、対同盟強硬策への支持が、この一か月で二十三パーセントから四十七パーセントに跳ね上がっています。同盟側でも、同様の調査で、対連邦強硬派への支持が三十パーセント台から五割近くまで上昇している」

「――一か月で、そこまで動くものか」

「動きます。特に、双方の報道が『被害者』としての自国民の物語を強調し始めてからは、加速度的に。人間は、自分たちが一方的に傷つけられているという物語には、驚くほど簡単に共感してしまうものです」

オルコットは、その数字の変化の速さに、改めて薄ら寒いものを感じた。艦隊戦であれば、戦力の増減は、装備や補給の数字として、ある程度予測可能だ。だが世論というものは、まるで生き物のように、目に見えない速さで姿を変えていく。

「これを止める手段は」

「今のところ、ありません。せめて、これ以上の悪材料――新たな衝突や事件が起きないよう祈るしかない状況です」

ラスクの言葉に、会議室の空気がまた重くなった。オルコットは、窓の外、灰域の暗闇に目をやった。そこには、まだ何も見えなかった。だが、その静けさの向こうで、何か大きなものが、着実に動き出しているのを、彼は肌で感じ続けていた。

「艦長、一つ提案があります」

ラスクが、いつになく慎重な口調で切り出した。

「乗員たちにも、傍受した両国の報道の一部を、そのまま見せてはどうでしょうか。事実がどう捻じ曲げられているかを、自分たちの目で確かめさせるのです」

「――士気に、悪い影響が出ないか」

「短期的には出るかもしれません。ですが、長期的には、乗員一人ひとりが、自分たちの戦いの意味を、他人任せの物語ではなく、自分自身の言葉で理解する助けになるはずです」

オルコットは、しばらく考えた末に頷いた。

「――やってみよう。ただし、強制はしない。見たい者だけに公開する形にしてくれ」

「承知しました」

その日の午後、乗員食堂の一角に設けられた小さな端末に、両国の報道記録が、静かに公開された。最初は誰も近寄らなかったが、夕刻になる頃には、数人の乗員が代わる代わる画面を覗き込んでいた。彼らが何を思ったのか、オルコットには知る由もなかった。だが、それぞれが自分の目で見て、自分の頭で考えるという行為そのものに、彼はささやかな希望を託していた。

(第64話へ続く)