緊張が高まる中、灰域近郊の同盟側入植惑星「レティシア」で、不穏な動きが報告された。
その報告が《薄明》の艦橋に届いたのは、哨戒航路をわずかに外れた定期補給の帰路だった。オルコットは補給物資の積み込み完了報告を聞き終えたばかりで、まだ艦長席に腰を下ろしてもいなかった。
「艦長、レティシアの入植地周辺で、正体不明の武装集団が確認されています」
ダーナの報告に、オルコットは眉をひそめた。ホロ画面に映し出されたレティシアの地表画像には、採掘プラントの外周に沿って、複数の小型輸送車両が停止しているのが確認できた。
「同盟軍か」
「いえ、識別章がありません。ただ、装備は連邦製のものと酷似しているとの報告です」
レティシアは、同盟領内でも特に灰域に近く、資源採掘を主産業とする小規模な入植地だった。地表の大半は赤茶けた岩盤に覆われ、まともな大気循環設備すら一部の居住区にしか行き渡っていない、決して豊かとは言えない土地だ。人口はおよそ8,000人。正規の駐留部隊は小規模な警備隊のみだった。オルコットは、着任前に目を通した入植地台帳の数字を思い出していた。年間の採掘収益はさほど大きくないが、その分、住民の暮らしは慎ましく、また互いの結びつきが強い土地柄だと聞いていた。そんな場所に、武装した見知らぬ集団が現れる意味を、彼はすぐに理解した。
「連邦の非正規工作員、ということか」
「断定はできませんが、可能性は高いです」
オルコットは即断した。判断を迷うだけの時間の余裕は、この状況にはなかった。艦橋の空気が、一斉に張り詰めるのを、彼は肌で感じた。乗員たちの視線が、一斉にオルコットへと集まった。
「針路変更。レティシアへ急行する。全速力だ」
《薄明》は艦体を軋ませながら加速した。短距離跳躍炉のチャージには猶予がなく、通常航行での急行となる。到着まで推定四時間。その間、オルコットは艦橋の隅で、レティシアの地図データを何度も見返した。採掘プラントの制御施設、住民居住区、警備隊の詰所――限られた守備兵力で、どこをどう守るべきか、頭の中で幾通りもの展開を組み立てていた。
到着したときには、すでに入植地の外縁で銃撃戦が始まっていた。地表からの通信は途切れがちで、断片的にしか状況が伝わってこない。降下艇のハッチ越しに見えたレティシアの地表は、赤茶けた岩肌が剥き出しの荒涼とした土地で、その中に唯一緑を保つ採掘プラント周辺の畑地が、今まさに炎に包まれようとしていた。
「艦長、警備隊からの通信です。数で押し切られている、と」
通信士の声には、切迫感が滲んでいた。オルコットは、警備隊長の名を思い出そうとしたが、思い出せなかった。この惑星に着任してからまだ日が浅い、若い隊長だと聞いていた。その若者が今、圧倒的な火力差を前に、部下たちを守りながら持ちこたえている。
「降下部隊、到着まであとどれくらいだ」
「六分です」
「長い」
オルコットは思わず呟いた。地上の六分は、艦橋で見る六分とは重みが違う。その間にも、地表では誰かが傷つき、あるいは命を落としているかもしれない。彼はその現実から目を逸らさず、しかし焦りを声には出さないよう、自分に言い聞かせた。
「――民間人を巻き込むな!」
オルコットは思わず声を上げた。地上へ降下部隊を展開させる指示を、間を置かずに下す。降下艇のハッチが開く音、装備を確認する兵士たちの短い掛け声、それらが艦橋のスピーカー越しに伝わってくるのを、オルコットはじっと聞いていた。武装集団は正規軍のような統制は取れていなかったが、装備は明らかに高性能で、粗末な警備隊だけでは対処しきれていなかった。
「敵の狙いは何だ」
「採掘プラントの制御施設を占拠しようとしています。人質も取られている模様」
現場からの報告に、オルコットは奥歯を噛みしめた。制御施設には、住民の一部が避難していたと聞いている。人質という言葉が、状況の緊迫度を一段引き上げた。
「制御施設周辺を包囲。人質の安全を最優先に、慎重に押し返せ」
オルコットは即座に指示を出した。指揮通信の向こうで、地上部隊の指揮官が短く復唱する声が聞こえた。
地上戦は、狭い施設内での近接戦闘となった。制御室に至る通路は入り組んでおり、視界の利かない曲がり角の連続だった。オルコットの部隊は、非殺傷兵器を優先しながら、武装集団を制御施設から徐々に押し出していった。閃光弾の破裂音、金属床を踏む重い足音、無線越しに飛び交う短い符丁――それらの断片が、艦橋のスピーカーを通じてオルコットの耳に届き続けた。彼はその一つ一つに、部下たちの顔を重ねずにはいられなかった。
「第二班、東側通路を制圧。負傷者一名、軽傷です」
「続けろ。無理はするな」
通路の分岐点ごとに、部隊は慎重に前進と後退を繰り返した。武装集団側も、追い詰められるほどに反撃が激しくなり、一時は制御室手前の広間で睨み合いが十数分続いた。オルコットは、艦橋の椅子に座ったまま、指一本動かせない自分のもどかしさを噛み殺していた。ここから先の数十メートルを、彼は自分の足で歩くことができない。ただ地上の指揮官の判断を信じ、報告を待つしかなかった。
「――投降しろ、これ以上の抵抗は無意味だ」
包囲された武装集団の一人が、無線で応答した。声はくぐもっていたが、疲弊しきった響きがあった。
『我々は、正規の軍属ではない。傭兵だ。雇い主の名は言えない』
「連邦か」
『……さあな』
その短い沈黙の中に、オルコットは多くのものを読み取った気がした。恐怖、諦め、そして雇い主への忠誠とも呼べないような、乾いた打算。傭兵という立場の男が、命の危険を冒してまで守ろうとする秘密の重さを、オルコットは推し量りかねた。
結局、武装集団は投降し、人質は無事に解放された。制御室の扉が開いたとき、中から出てきた住民たちの顔には、まだ恐怖の色が濃く残っていた。子供を抱えた母親が、地面に膝をついて泣き崩れる姿を、オルコットは降下艇の外部カメラの映像越しに見た。その光景は、彼がこれまで幾度となく見てきた戦闘の後の風景と、驚くほどよく似ていた。勝っても負けても、そこに残るのはいつも同じ種類の疲弊だった。
投降した武装集団の人数は、確認できただけで十八名。負傷者は同盟側の警備隊員が三名、いずれも命に別状はなかった。武装集団側にも数名の死傷者が出ていたが、オルコットはその詳細をあえて詳しく尋ねなかった。傭兵という立場であれ、命の重さに変わりはない。だが今は、それを悼む余裕すら、彼の中には残っていなかった。
彼らの装備や通信記録からは、連邦の非正規工作機関との関連を示す痕跡が複数見つかった。暗号化された通信ログの断片、支給された装備のシリアル番号――それらは連邦軍の制式規格と一致するものだった。
「――これは、明確な報復行動だ」
オルコットはラスクへの報告書に、そう記した。文面を打ち込みながら、彼は自分の指がわずかに震えていることに気づいた。連邦は、正面からの軍事行動ではなく、傭兵を使った非正規の圧力を、同盟領内にかけ始めていた。それは、正規戦とは違う種類の恐怖を、住民たちに植え付ける行為だった。
報告書の草案を書き終えた後、オルコットはしばらく画面を見つめたまま動かなかった。デルフォスで鍵を奪ったあの夜から、まだ数か月しか経っていない。だがその短い間に、事態は彼の想像を超える速度で転がり始めていた。一つの入植地を守ったところで、根本にある対立の構図は何も変わらない。むしろ、こうした小さな衝突の一つ一つが、両国の不信を積み重ねる燃料になっているのではないか――そんな疑念が、報告書を書き終えた後も、彼の胸の奥に重く沈殿していた。
艦橋に戻ると、砲雷長が険しい表情で待っていた。
「艦長、レティシア周辺の哨戒体制について、上申しておきたいことが」
「言ってくれ」
「今回は間に合いましたが、次はもっと大規模な攻撃かもしれません。常駐の哨戒艦を、もう一隻増やすべきかと」
「上に掛け合ってみる」
オルコットはそう答えながらも、その要求がどこまで通るか、確信は持てなかった。同盟軍全体が、灰域全域での緊張の高まりに対応しようとしている今、一つの入植地のためだけに戦力を割く余裕が、どこまで残されているのか。彼にもまだ、その答えは見えていなかった。
その夜、オルコットは艦長室で、レティシアの住民代表から届いた短い謝辞の通信文を読み返していた。感謝の言葉の端々に滲む疲労と不安を、彼は何度も読み返した。守り切ったはずの勝利の後味は、思いのほか苦かった。
ダーナが、艦長室の扉をノックした。
「艦長、警備隊長から個人的な礼状が届いています。読まれますか」
「後で読む」
オルコットは短く答えた。今はまだ、その言葉を受け取る心の余裕がなかった。今日守り切ったものの裏側で、次はもっと大きな犠牲が出るかもしれないという予感が、拭いきれずに胸の奥に居座っていた。
オルコットは、机の上に広げたレティシアの地図データを見つめながら、静かに息を吐いた。
「――今回は、死者は出なかった。だが、次も同じとは限らない」
「そう思われますか」
「装備の質が上がっている。傭兵にしては、統率も装備も、明らかに前より洗練されていた。これは、試験的な一手だったんだろう」
「試験、ですか」
「相手の出方を見るための、な。次はもっと大きく仕掛けてくるかもしれない」
ダーナは黙って頷いた。灰域の均衡は、確実に、そして静かに崩れ始めている。彼はその予感を、誰にともなく胸の内で反芻していた。
(第43話へ続く)