隔壁が開いた先に広がっていたのは、想像していたよりもずっと簡素な空間だった。オルコットは背後でまだ続く銃声を意識しながら、アダムとともに足を踏み入れた。

薄暗い照明の下、円形の部屋の中央に、古びた保管庫がひとつだけ置かれている。壁には、この施設が稼働していた時代の連邦軍の紋章が色褪せて残っていた。天井は思いのほか高く、円形の壁面には等間隔で装飾のない柱が並んでいる。かつてはここに、もっと多くの装置や人員が配置されていたのかもしれない。だが今は、その保管庫ひとつを残して、すべてが撤去され、空虚な静けさだけが漂っていた。

床には、撤去された機材のボルト跡だけが等間隔に残り、まるで骨組みだけを残して肉を剥ぎ取られた生き物のようだった。空気は乾燥しきっていて、埃の匂いすらしない。時間そのものが止まっているような部屋だった。オルコットは自分の足音が、思いのほか大きく反響することに気づき、無意識に歩調を緩めた。

「――これが」

オルコットは慎重に歩み寄った。保管庫の表面には、幾重にも封印の痕跡が重ねられている。長い年月、誰にも触れられずに眠っていたことがわかる佇まいだった。表面に刻まれた古い封印の文字は、現行の書体とは異なり、かなり以前の様式であることが見て取れた。これがどれほどの年月、この場所で眠り続けてきたのか、正確なところは分からない。ただ、少なくとも自分が生まれるよりずっと前から、ここにあったのだろうということだけは、その古びた質感から感じ取れた。

セシルが渡してくれた情報の中に、この保管庫についての具体的な言及はほとんどなかった。彼女自身、この部屋の存在を正確には知らなかったのかもしれない。彼女が知っていたのは、あくまで隔壁を突破するための手順だけだ。その先に何が眠っているかは、彼女ですら想像するしかなかったはずだ。それでも彼女は、自分の知る範囲の全てを危険を冒して渡してくれた。オルコットはその事実の重さを、改めて噛みしめた。

足音が背後の通路から響かないことを、オルコットは何度も確認した。まだマグダたちの銃声は続いている。時間は残されていない。

「アダム殿、確認を」

若い修道士アダムが前に出て、保管庫に手をかざした。彼は鎮魂会に伝わる古い作法に則り、静かに祈りの言葉を唱え始めた。低く抑えた声が、円形の部屋に微かに反響する。オルコットはその言葉の意味までは理解できなかったが、アダムの表情には、ただの儀式以上の真剣さが浮かんでいた。

アダムの祈りが終わると、保管庫の表面に刻まれた紋章の一部が、微かな光を帯びたように見えた。それが本当に何かの反応なのか、それとも照明の加減による錯覚なのか、オルコットには判別がつかなかった。ただ、アダムの祈りが単なる儀礼ではなく、この施設に残る何らかの機構と、実際に呼応しているのかもしれないという可能性に、彼はわずかな戦慄を覚えた。

「――封印、生きています。中身は、記憶結晶の束と、紙の台帳のようです」

保管庫を慎重に開けると、そこには古びた革張りの箱があった。革は乾いてひび割れ、金具は錆びついていたが、内部の造りは驚くほど丁寧だった。中には無数の記憶結晶が束ねられ、そして手書きの記録で埋め尽くされた紙の台帳が三冊、収められていた。結晶の一つ一つは、薄い光を受けてかすかに反射し、まるで小さな星の欠片のようだった。

アダムがその輝きに見入り、思わず息を呑んだ。

「――美しいですね。これほどのものが、誰にも知られず、こんな場所に眠っていたとは」

「美しいかどうかは、これから先、俺たちがどう扱うかで決まる話だろう」

オルコットは静かに答えた。物そのものに罪も美徳もない。それをどう使うか、誰に渡すかによって、意味は変わる。彼はそのことを、これまでの人生で嫌というほど学んできた。

これが、正規管制鍵。国家の生殺与奪を、ただ一つの機構だけに独占させないための、最後の安全弁だった。オルコットはその言葉の重みを、今更ながらに噛みしめた。ここに至るまでに費やされた時間、金、そして人の命――その全てが、この小さな箱ひとつに集約されている。

イオン・ラスクが最初にこの計画の概要を語ったとき、彼は「これを見つけ出すのに、連邦側の技術者を三人買収し、そのうち一人は正体を疑われて姿を消した」と、こともなげに言っていた。あのときは数字としてしか受け止めていなかった話が、今、目の前の古びた革箱として、具体的な重みを伴ってオルコットの腕にのしかかっていた。三人の技術者のうち、姿を消した一人が今どうしているのか、ラスクは語らなかった。語らなかったということが、答えだった。

「――間違いない」

オルコットは箱を閉じ、慎重に持ち上げた。想像していたよりも軽い。だがその軽さの中に、途方もない重さが詰まっていることを、彼は理解していた。腕に伝わる重量と、胸の内に広がる重圧との落差が、奇妙な違和感となって彼の中に残った。

アダムが箱を抱えるオルコットに向かって、深く頭を下げた。

「艦長。この瞬間を、私は生涯忘れません。立会人として、正しく記録に残します」

「――記録には、必要なことだけ残してくれ」

オルコットは短くそう答えるにとどめた。この作戦が成功した後、記録がどう扱われるかについては、まだ考える余裕がなかった。今はただ、この箱を無事に外へ運び出すことだけを考えるべきだった。

アダムは箱を担ぐオルコットの隣に並び、周囲を警戒するように視線を巡らせた。慣れない動作ではあったが、彼なりに役目を果たそうとする姿勢が見て取れた。オルコットはその様子に、場違いながらも小さな好感を覚えた。

「艦長、時間がありません。地上で銃声が激しくなっています。連邦の増援が近づいている可能性が」

通信士官の声に、オルコットは頷いた。もう感傷に浸っている時間はない。この部屋に流れていた静かな時間は、ここで終わりだ。ここから先は、また元の、銃声と震動に満ちた世界に戻らなければならない。

「撤収する。来た道を戻れ」

一行は保管庫を後にし、坑道を引き返し始めた。振り返ると、マグダの部隊がまだ隔壁付近で警戒を続けているのが見えた。彼女は箱を抱えたオルコットの姿を認めると、片手を軽く上げてみせた。手に入れたか、という無言の問いに、オルコットも頷きで応えた。

「よし、じゃあ帰ろうか。長居する場所じゃない」

マグダが軽い口調で言ったが、その目は油断なく通路の奥を見張っていた。部隊の何人かは、まだ肩や腕に応急の止血帯を巻いたままだった。彼らの負傷が、この鍵の重さの一部であることを、オルコットは忘れないようにした。

だがその時、ヘッドセットにダーナの緊迫した声が響いた。

『艦長!連邦哨戒艦、増援を要請しています!このままでは、撤収シャトルの離脱経路が塞がれます!』

「時間を稼げるか」

『やってみます!ですが、《薄明》一隻では限界があります!』

オルコットは奥歯を噛みしめた。鍵は手に入れた。だが、それを持ち帰れなければ、すべてが無に帰す。艦を任せたダーナに、これ以上の重荷を背負わせたくはなかったが、今の状況ではそれ以外に手段がなかった。フリゲート一隻に、連邦哨戒艦の増援を食い止めさせるという要求が、どれほど無茶なものか、オルコット自身が誰よりも理解していた。それでも今は、彼女の判断力を信じるしかない。

「ダーナ、無理はするな。だが、時間だけは稼いでくれ」

『承知しています。艦長がお戻りになるまで、この艦は退きません』

短い応答の中に、彼女の覚悟がはっきりと感じ取れた。オルコットは箱を抱える腕に力を込め、足を速めた。

「マグダ、装甲部隊を撤収路の防衛に回せるか」

「もう回してる!プラント跡地からの陽動部隊、こっちに向かわせてる!」

無線の向こうで、爆発音と怒号が入り混じって聞こえた。マグダの部隊は、すでにこちらが想像する以上の激戦の中にいるようだった。

マグダの声には、疲労の色が滲み始めていた。デルフォスに降りてから、彼女の部隊はほとんど休みなく戦い続けている。それでも指揮官としての判断力は、まだ揺らいでいなかった。オルコットは彼女の的確さに、改めて助けられていることを自覚した。艦隊戦の指揮とはまた違う種類の勘所を、彼女は地上戦で発揮していた。

坑道の出口が近づくにつれ、地上の砲撃音が次第に大きくなっていった。震動が足元から伝わり、天井から細かい砂が落ちてくる。オルコットは箱を抱きかかえるようにして、坑道を駆け抜けた。アダムも遅れまいと、必死の形相で後を追った。

途中、先に負傷した隊員が壁に寄りかかるようにして座り込んでいるのが見えた。仲間の肩を借りながら、それでも自分の足で歩こうとしている。オルコットは一瞬、足を止めそうになったが、隊員自身が首を振り、行けというように顎をしゃくった。ここで足を止めることが、かえって彼らの犠牲を無駄にする。オルコットは奥歯を噛みしめ、再び走り出した。

坑道の壁が、震動のたびに細かく震え、天井の一部が崩落しかけているのが見えた。オルコットは箱を抱えたまま、崩れかけた瓦礫を避けるようにして進んだ。もし坑道そのものが崩落すれば、鍵も、自分たちの命も、まとめてこの地下に埋もれることになる。その想像を頭から追い出し、彼はただ足を前へ運び続けた。

この重みを、無事に外へ持ち出すこと――それだけが、今考えるべき唯一のことだった。

(第24話へ続く)