《薄明》がハイド・ステーションの外縁で待機に入ってから、すでに四日が経っていた。オルコットは出発前、艦橋でダーナに短く行き先を告げただけだった。

「ヴェスタ港まで、単艇で往復する。三日以内には戻る」

「護衛は」

「いらない。目立つ方が危ない」

ダーナは眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。副長として、艦長の単独行動に懸念を示す義務と、詮索しない分別と、その両方を心得ている女だった。機関長のイズマだけが、格納庫で艇の点検をしながら、ぼそりと「戻ってこいよ、艦長」とだけ呟いた。オルコットはそれに、片手を上げて応えただけだった。

灰域を渡る単艇の中で、オルコットは狭い操縦席に座り、計器盤の淡い光だけを頼りに、三時間の航行時間を過ごした。短距離跳躍炉のチャージ音が低く唸り、やがて止む。跳躍中は無防備になる時間だ。この程度の距離なら、跳躍せず通常航行で済ませる方が安全だった。

ヴェスタ港は、連邦領と同盟領のちょうど境目に位置する自由貿易ステーションだった。国籍不問、質問無用――そんな看板を掲げた酒場と両替商だけが軒を連ねる、灰色の金属回廊。オルコットは軍服を脱ぎ、民間の輸送業者を装って、その回廊の奥にある小さな食堂で、セシルを待っていた。

窓の外には、灰域特有の淡い光条が流れている。恒星の少ない、宙域そのものが薄闇に沈んだ一帯。航行灯を絞った船の群れが、まるで息を潜めるようにゆっくりと行き交っていた。オルコットはカップの中の茶――名前も知らない、香草の匂いが強い連邦製の代物――を一口含み、腕時計を見た。約束の時刻から、すでに七分が過ぎている。

セシルから届いた次の情報は、オルコットたちの計画に暗い影を落とすものだった。

彼女は定刻より遅れて現れた。いつものように民間の技術者然とした地味な外套を羽織り、鞄を抱えるように持って、店の奥、壁を背にした席に滑り込むように座った。頬がわずかに赤い。急いで来たのだろう。

「遅れてすみません。監視の目を確認していたので」

「かまいません。座ってください」

セシルは一度、店内を見渡してから、声を潜めて言った。

「連邦軍保安局が、デルフォスの警備体制を見直しています。特務班が派遣されるそうです」

オルコットの中で、何かが冷たく引き締まる感覚があった。この数ヶ月、慎重に積み上げてきた偵察と根回しが、根底から揺らぎかねない一報だった。

「特務班長は、マルコ・ヴィス。私も詳しくは知りませんが、噂では容赦のない人物だと。過去に、国境地帯での密輸摘発で、密輸船の乗員を証拠隠滅目的で見せしめに処刑した、という話も聞いたことがあります」

「処刑、か」

オルコットは低く繰り返した。乗員は五人だったという。密輸船の船長は享年52、二人の息子がいたと、後にセシルが調べた記録には書かれていた。名前も、罪状も、公式には残されていない。連邦の記録に残るのは「密輸品廃棄処理、乗員行方不明」の一行だけだ。

「なぜ急に警備を見直す。こちらの動きが漏れたのか」

「そこまではわかりません。ただ、時期が重なっているのは確かです」

オルコットは眉根を寄せた。護送計画の下見と思われた越境行動の時期から、すでに数ヶ月が経過している。連邦側が何かを察知した可能性は、常に頭の片隅に置いておく必要があった。偵察の痕跡は消したつもりだった。だが、完全な消去などというものが、この稼業に存在するのかどうか、オルコット自身も確信は持てない。

「セシル、あなたの立場は大丈夫なんですか」

「今のところは。倫理制限設計チームは、保安局の管轄とは別系統です。ただ……」

セシルは言葉を濁した。カップの縁を指先でなぞりながら、視線を一度、店の入り口に向けた。誰かに見られていないか、確かめるように。

「特務班が本格的に動けば、いずれ全ての部署に情報統制がかかります。私が動ける時間は、限られているかもしれません」

「無理はしないでください」

「無理はしません。でも、止まるつもりもありません」

セシルの目には、迷いのない強さがあった。オルコットはその強さに、頼もしさと同時に、かすかな恐れも感じていた。彼女を危険に晒しているのは、他ならぬ自分自身だった。もし彼女の身に何かあれば――その先を考えることを、オルコットはいつも意図的に避けてきた。考えたところで、今の自分にできることは何もない。それでも、避けられない問いは、こうした静かな瞬間に必ず戻ってくる。

「ヴィスという男について、他に何か」

「経歴だけなら。連邦士官学校を主席で卒業し、国境紛争で三度、独断専行の作戦を成功させています。上層部からの評価は高い。ただし部下からの評判は――あまり良くないと聞きます。使い捨てにする、と」

「参考になります」

「それと、もう一つ」

セシルは声をさらに落とした。

「デルフォスの保管庁舎付近で、地上部隊の配置転換があったそうです。詳細は掴めていませんが、防衛戦力の一部が、居住区側からプラント跡地の方向へ動かされているとか。理由は不明です」

「マグダの陽動計画とかち合う可能性があるな」

「ええ。もし特務班が先に、プラント跡地の防衛を固めているのだとしたら――」

「陽動そのものが、罠になりかねない」

オルコットは指先で額を押さえた。情報は常に断片的で、パズルの半分しか揃わない。それでも、動かなければ何も進まない。危険と停滞、そのどちらを選んでも代償は伴う。それがこの仕事の、変わらない相場だった。

「引き続き、確認できることがあれば教えてください」

「もちろんです。ただ、次に会えるのがいつになるかは、私にも約束できません」

「グレイ」

セシルが小さく呼んだ。名を呼ばれることは、この関係の中で、数少ない私的な瞬間の一つだった。

「あなたも、無理はしないでください」

「善処します」

短いやり取りの後、二人はそれぞれ別の方向から店を出た。オルコットは、埠頭に係留された小型輸送艇に乗り込みながら、灰域の暗闇を見上げた。この宙域には星がほとんどない。あるのは、遠い恒星系の光がわずかに散乱した、薄墨のような輝きだけだ。

帰路の単艇の中で、オルコットはセシルから渡された小さなデータ端末を、何度も掌の中で転がした。中身は暗号化された断片情報だけで、それ単体では何の意味も持たない。だが、これまで積み上げてきた他の断片と組み合わせれば、デルフォス地下要塞の輪郭が、少しずつ像を結び始めている。オルコットはふと、この作業が、割れた陶器の破片を一つずつ拾い集める作業に似ていると思った。全部が揃わなければ、器の形すら分からない。そして、破片を集める間にも、誰かが手を切る。

灰域の暗闇の中、単艇のセンサーが、時折遠くの航行灯を拾っては消えていった。連邦の哨戒艇か、それとも民間の輸送船か。判別する術はない。オルコットは操縦席の背にもたれ、目を閉じた。三時間の航行の間、眠れたのはせいぜい四十分ほどだった。

ハイド・ステーションに戻り、オルコットはラスクにマルコ・ヴィスの情報を伝えた。作戦本部として使われている一室は、元は貨物管理事務所だったという殺風景な部屋で、壁には古い航路図が貼られたままになっていた。空調の音が、やけに大きく響いている。

「マルコ・ヴィス、ですか」

ラスクは端末で経歴を検索し、眉をひそめた。画面に浮かぶ経歴書には、いくつもの作戦名が並んでいたが、詳細のほとんどが黒塗りだった。

「保安局きっての強硬派です。国境紛争での実績を買われて出世した人物で、目的のためなら手段を選ばない、という評判は事実のようですね。彼が来るとなると、警備体制の見直しは形式的なものでは済まなくなる」

「作戦を早めるべきか」

「いや、逆です」

ラスクは首を振った。

「急げば粗が出る。特務班の配置が完了する前に情報を集めきり、彼らの体制が固まりきる前の隙を突く。むしろ今は、偵察を徹底する時期です」

「地上要塞の内部構造は」

「マグダの部下に、デルフォスの採掘企業に出入りする商船の乗員として潜り込ませています。数週間以内に、より詳細な図面が手に入るはずです」

オルコットは頷いたが、腹の底に落ち着かない重みが残った。数ヶ月がかりの計画が、ヴィスという一人の男の着任によって、一夜にして瓦解する可能性がある。それでも、今できることは、目の前の情報を積み上げることだけだった。

「連邦側の反応は、他に何か掴めているか」

「今のところ、表立った動きはこれだけです。しかし――」

ラスクは端末を閉じた。

「これが単なる警備強化なら、まだいい。もし彼らが、鍵の存在そのものに気づき始めているのだとしたら、話は別です」

「その場合は」

「作戦は中止せざるを得ない。少なくとも、今の形では」

オルコットは、セシルから伝えられた地上部隊の配置転換についても、ラスクに報告した。ラスクはしばらく黙って、航路図の一点を見つめていた。

「プラント跡地の防衛強化、か。マグダには伝えておくべきでしょうね」

「陽動が罠になるかもしれない、と?」

「可能性は排除できません。マグダの部下が、もう少し詳しい情報を持ち帰るまで、待つしかない」

ラスクは端末を机に置き、椅子の背に体を預けた。窓の外を見やる横顔には、いつもの冷徹さの下に、隠しきれない疲労がにじんでいた。

「艦長、正直に聞きます。あなたはこの作戦、まだ続ける価値があると思いますか」

唐突な問いだった。オルコットは少し間を置いてから答えた。

「価値があるかどうかより、今さら引き返せる場所にいないと思っている」

「――そうですか」

ラスクはそれ以上、何も言わなかった。オルコットも、それ以上は語らなかった。二人とも、この計画がすでに、後戻りのできない段階に入っていることを承知していた。

窓の外、灰域の暗闇の向こうで、連邦領の光が以前より心なしか強く瞬いているように、オルコットには見えた。まるで、向こう側もまた、こちらの動きを注視しているかのように。

(第14話へ続く)